作品紹介

若手会員の作品抜粋



(平成12年12月号)★印は新仮名遣い


  東京 臼井 慶宣

秋風に疼きし肺は虫の音と冷たき群青を吸ひ込んでゐる

仰ぎ見し紫紺の果てに寡黙なるホールマンハウトは惑ふことなし


  東京 坂本 智美 ★

運命は出会いによって決定す実証された大学四年の秋

いつもなら息切れて登る階段を三段飛ばして合格報告


  埼玉 松川 秀人 ★

往年はエースとして働きし路面電車今ひっそりと公園に休む

鴎外の功績讃え舘内に記念室あり鴎外記念図書館


  大和高田 田中 教子 ★

吾祖父の肺細胞のひとかけらいずこか車で運ばれてゆく

人間が自由になるのは死ぬ時と淋しげに言う今宵の祖父


  スイス 森 良子 ★

踏み入れば森温かしこの夏に吾が捨てし芝生の小山のありて

時忘れドイツ語にて本を読みし今日吾はドイツ語に物多く言う


  札幌 村上 晶子 ★

この橋の古りし歳月思いつつ今日はわれらが渡りゆくなり

街の灯の水面に揺れておばろなり逆しまの明かり橋より眺む


  札幌 安原 勝美

形なき愛に焦がれて泣く友に我は問ひたし愛の色など

一輪の花に安らぎ覚えゐるランチ待つ間の日溜まりの中


  ニューヨーク 倉田 未歩 ★

溶岩に襲われた村の地面から抜き出ている一本の腕の写真

イオウジマに星条旗たてる米兵の写真を見つめる吾の目は外国人


  兵庫 小泉 政也 ★

電車の中に吊り革持ちて立ちしままうとうととせり夏の昼すぎ

叶ふなら少年の日に戻りたし世界一周のパンナムに乗つてみたくて


  神奈川 高村 淑子 ★

お魚さん毎日餌をあげている私をちゃんと覚えていてね

私の手に甘えたがりのホウボウが小犬のように頬すりよせる


  京都 下野 雅史

伝へたき言葉呑み込み手をつなぐ何か半端な思ひしながら

そよぐ風君の肩をばつつみ来てわれをもつつむ匂ひかぐはし


  西宮 北夙川 不可止

毎日の何が不満か惑ひつつ強き西日に瞼閉ぢたり

秋霖の始まりらしき雨の中ラファエル前派展を見にゆく


  ビデン 尾部 論

金色の彩雲は一天に連なりてジュラとアルプスを一気に繋ぐ

渦巻きてサイレンの音遠く聞こゆ有り得ぬ事に不安の兆す

選者の歌


宮地 伸一

信号待つ高校生ら言ひあふドンキ・ホーテかドン・キホーテか

携帯電話戒しむる放送ひびくなか此処にも醜き日本人が一人



佐々木 忠郎

−つ部屋に二夜を寝ぬる友六人こころ合はせ来し三年を思ふ

朝まだき窓べにしばし友の影近江のうみの岸の灯見るか



吉村 睦人

最微者を演じつづけしチャップリンその古き映画を今夜また見る

キュラソーのグラス舐めつつこのタベしばし己を誤魔化してゐき



三宅 奈緒子

新秋の安曇野おもひつつ出づるなし痛みに晒を巻きてこもりて

亡き人が遺しし軽き藜の杖すがりてからく今日も家居す



小谷 稔

とどろきて光を放つ那智の滝しぶきの奥に太々と落つ

聖き山の遠白き滝をかへり見てわが歩み入る雲取の道



雁部 貞夫

ヒマラヤの峰より出でし清き月肴は要らぬと酒酌みたりき

この友もヒマラヤ病の患者にて洒にこと寄せ吾を呼び出す



新津 澄子

小便小僧の今日着るはサッカーのユニフォーム生々と街の辻に水を噴き上ぐ

男女差別を論ふありてこの国は小便少女の像をも建てたり



添田 博彬

資本あるは早く見切つけて移りゆき乏しきは更に約めて耐へゐる

祖母も父も突然死の如く逝きたりし遺伝を思へば日々に怖るる



石井 登喜夫

手綱とる学生二人馬ふたつ山の朝霧に影うすれゆく

小さなる皿幾たびか替へくるる野沢菜を喜び蕗をよろこぶ

先人の歌


正岡 子規

夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我がいのちかも

いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ



伊藤 左千夫

天つちのなしのまにまに鳴く虫や咲く百草や弥陀を知るらむ

秋の野に花をめでつつ手折るにも迷ふことあり人といふもの



長塚 節

落栗は一つもうれし思はぬにあまたもあれば尚更にうれし

雀鳴くあしたの霜の白きうへに静かに落つる山茶花の花



島木 赤彦

あるものは草刈小屋の草月夜ねぶりて妻をぬすまれにけり

あるものは金ある家にとつぎ得て蚕がひ窶れぬ病みてかへらず



中村 憲吉

大河口の夕焼がたの船工場音をやめたりその重き音を

河口の船工場に起重機の音あがりてより日は久しくありけり



斉藤 茂吉

少年の流され人はさ夜の小床に虫なくよ何の虫といひけむ

赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり



土屋 文明

ただひとり吾より貧しき友なりき金のことにて交絶てり

銭湯に子等つれいでて東京の蝉の静かなる声に気づきぬ