作品紹介

若手会員の作品抜粋



(吉村睦人選)


 スイス 森 良子

左官屋に苦笑されつつ教わりて吾の均しし壁乾きたり

森を見上げるかたちに成りし窓の辺に夫と吾との畳を敷きぬ


  東京 坂本 智美

私には紙幣の役割果たさずに財布に入りし二千円札

入院の準備をしている十六夜に゛miracle`という名の香水を嗅ぐ


  東京 臼井 慶宣

道の端に一つ落されし手袋は冷たき路上をしかと掴みぬ

新世紀の始まりたる一年(ひととせ)に次の世紀は無きやと思ふ


  千葉 渡邊 理紗

ビンの中に涼しい音を出すビー玉とりだせるなら君にあげたい

がちゃがちゃと洗う茶碗の音色から露見している機嫌の悪さ


  大和高田 田中 教子

灯(ともしび)を長く連ね列車今夜の大地をうねりつつ行く

地に落ちず枝に残れる桐の実の枯れし色こそ我が三十代


  兵庫 小泉 政也

未来など要らぬと自死をはかりしにイエスは「生きよ」と吾に託せり

白い手がバイトの火傷で傷だらけ名誉の勲章とでも言おうか


  京都 下野 雅史

親友の三回忌を経て今はもう成仏したかと石に尋ねつ

頭髪を栗色に染めて冬支度朝の寒さも少しやはらぐ


  三浦 高村 淑子

走らない時があってもいいのだと誰かが言ってくれないものか

何も生まれず終りゆく日を無駄などと思わず私は今を生きよう


  ニューヨーク 倉田 未歩

クリスマスが近づいて疲れ果てていたニューヨーカーに笑顔が戻る

絶望を確実に希望へと建て替えておくれよグラウンドゼロ


  高松 澤 智雄

友からの愛想のなき年賀状目を通しつつ親しみ覚ゆ

年明けのラジオの音が耳ざわり田園交響曲を聴きているとき


  岡山 三浦 隆光

屋根にかけし脚立を上りゆくときは吾も大工の一人かと思ふ

ああ早く春にならぬか花香る微風の中で大工がしたし


  ビデン 尾部 論

髭剃りて顎を撫で合うアフガンの兵士に少年の素顔戻れり

ユーロにも中立を選りし小国スイスナチ包囲網時と同じ結論

選者の歌


宮地 伸一

「ザ初荷」と書ける幟の下をゆく超不愉快と言ふはこのこと

天頂に近づく木星を仰ぎつつ寝しづまる寒き路地通り来ぬ



佐々木 忠郎

凍りたる雫つらなる冬ざくら私は平気と匂ふ健気に

うにを肴に飲む一杯(ひとつき)の酒うまし庭は木枯らし冬ざくら咲く



三宅 奈緒子

おのが姿に恋慕し泉に屈む少年ナルキッソスその陶酔の表情

閉ぢし眼よりあふるる涙を画きたり闇に浮く「マグダラのマリヤの法悦」



吉村 睦人

浮かび来る一つ仕草にひとときを心ゆだねてわれはをりたり

視力落ちしわれの眼にも今夜見ゆオリオン星座の中の三つ星



小谷 稔

タリバンの去りたる跡にいち早くケシの種蒔く貧しき民ら

葦原にこもりて葦の風聴けば国土のはじめにかへる思ひす



石井 登喜夫

ならび寝て少年はをさなき頃のごとわが脚の間に足を入れきぬ

紅顔の失せゆくときも近からむ惜しみつつ寝顔を見守りてをり



雁部 貞夫

母川回帰の魚の如くに帰り来し歌の世界も狭小極小

そこここの分らず屋ども無視せむと飲み乾す今宵もビールは旨し



添田 博彬

プレハブと座敷と玄関に入らざるクリニックの荷は庭に積み置く

フィルムの整理をしつつこの人らの世に在りたるを消す思ひする



倉林 美千子

冬の銀杏を仰ぎわが立つキャンパスにとぎれとぎれてビオラの聞こゆ

争ひはいつの日も宗教に関はると蘇我氏の丘に時を過ごしつ



實藤 恒子

駅のホームは葡萄のアーチに覆はれて葡萄のもみぢ極まらむとす

泳ぎたる体柔軟に歩みゆく銀杏並木のかがよふ下を

先人の歌

  斎藤 茂吉

静厳(せいげん)なる臨終なりしと傳(でん)しありて薬のそばに珈琲茶碗ひとつ

おのづから日の要求と言ひいでしゲェテは既にゆたかに老いき

晩年のゲェテの名刺なども遺しあり恋ひて見に来む世の人のため

シルレルの死にゆきし部屋もわれは見つ寂しきものを今につたふる


  土屋 文明

友ありて遠きなぎさを伊勢の国の見ゆる岬にめぐり来にけり

真なごより白き貝殻を拾ひけりしばらくにして手にあまるまで

石の上にすてし食物(くいもの)に寄りて来る生物(いきもの)は思ひかけぬ所より

高波は沖さへしろき灘(なだ)といへど神島(かみしま)をみれば心やすらふ


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