作品紹介

若手会員の作品抜粋
(平成20年3月号) < *印 新仮名遣い>


  大 阪 目黒 敏満 *

来なかったメールの返事のわけ聞けず会話にときどき空白の時



  高 松 藤澤 有紀子 *

子を語るとき皆同じ顔となる日本の我と中国の彼女と



  宝 塚 有塚 夢 *

授業時が一番短歌創作の意欲が沸くなど親には内緒



  東 京 鈴木 靖子 *

この後は何の予定も無い正午ふうせんかずらをつぶして歩く



  東 京 持田 夢乃 *

ガソリンの高騰止まぬ毎日を分かっていてもあなたの隣



  東 京 本橋 良恵 *

風が呼ぶ誰かの名前 過ぎさりし思い出たちの匂いを残し



  東 京 森山 絵里 *

紫の花に込めたる想いあり救いを求め数え占う



  東 京 吉原 麻美 *

すがるように救いを求めて覗き込むポストは今日も空のまんまで





(以下 HPアシスタント アイウエオ順)

  福 井 青木 道枝 *

おさなごを交えてかわすせっせっせ若き母親の手の荒れも知る
淵に立つ今のこのとき放たれた矢であれ唸りひびく矢であれ


  横 浜 大窪 和子

激しきリズムに乗りて踊ればわがうちにいまだ点れる火ありと思ふ
生きることの源にあるかなしみを伝へむすべもなく分れたり


  那須塩原 小田 利文

掃き寄する落葉奏づる音たのし子に踏ませたしと思ひつつ聞く
吾が寄せし落葉のうへに降る雨は昼過ぎてより雪となりたり


  東広島 米安 幸子

生きてあらば四十に近しとひとりごつ老いゆく母を知らえぬは良し
病める児を目守る娘に救ひあれ流るる星に声に祈りぬ


  島 田 八木 康子

「広げすぎた翼をたたもう」新刊のキャッチコピーが一日離れず
澄む声に「ごめんください」とこんな日は母が訪ねて来ぬかと思ふ



選者の歌


  東 京 宮地 伸一

子育ては失敗せりと今も思ふ心安らぐひとりだに無し
街灯の光のそばに立ついちやうは落葉おそしと言ふ説を聞く


  東 京 佐々木 忠郎

杖つきて二十歩ほどあゆみては休む小春日和の人なき道を
喪中欠礼の葉書かきつぐ冬の夜半微笑む写真が労(ねぎら)ひ呉るる


  三 鷹 三宅 奈緒子

年送るとつね歩む上水のみちを来ぬ蛍橋より歩みかへして
黒鳥(こくちやう)の抱卵をちかぢかと見るものかその巣にふかくうごかぬ一羽


  東 京 吉村 睦人

折々に歌に詠まれしこの庭の駐車場となりて跡かたもなし
様々の願ひ記されし絵馬の中「父と母が喧嘩しませんように」


  奈 良 小谷 稔

銀杏の木杉の木よりも高ければ黄葉は震ふ一木みながら
岸に添ふ渦に浮べる朱一葉左に巻きて止まることなし


  東 京 石井 登喜夫

鏡を見るなと妻の言へども見てしまふわが身どこまで痩せてゆくのか
自然がよし自然がよし仰ぎみよ雲が行き風が行く乗りてゆかむか


  東 京 雁部 貞夫

死者出でし演説会と聞きて胸さはぎ次ぎて告げたり君は死せりと       (B・ブット女史を悼む)
演説終へし女史待ちゐしは銃弾か警備手ぬるしと現地の友は


  福 岡 添田 博彬

納骨棚の下に在るべき骨壷の見えぬは仏の心と思へず
父母とをさなき弟妹のみ骨をばブリキにて焼きき臭へる中に


  さいたま 倉林 美千子

山に返ることなくあれな夏草を刈り退(そ)け峠への道を保てり
ほしいままに転(まろ)ぶ花梨(くわりん)を拾ひ持ち豊かに寂し明日香の村は


  東 京 實藤 恒子

活きいきとせる面差しに弟の裡(うち)なる炎をわれは思へり
日を時を選びて最も美しき花の命を写すといへり


(以下 HP指導の編集委員・インストラクター・アドバイザー)

  四日市 大井 力

不時着に還りしを纏めて押し込めてここに国恥と総括せしめき
雀また蜻蛉になりて帰るとぞ出撃前夜の言葉を残す


  小 山 星野 清

開戦の日なるに触るる見出しなしわが拡げたる今朝の三紙に
開戦の記念の日さへ言はぬ代がわが命あるうちに来るとは


  札 幌 内田 弘

吠えながら追ひゆく犬の遠退きてそれより再び昼の静寂
耳に残る「九条を守る」低き声怨念の如く会場に籠もる


  取 手 小口 勝次

人の心わからぬままにメール打つ励ます言葉を終りに添へて
次に会はむ時には故郷の蜂の子や蝗のことも語り合ひたし


先人の歌


土屋文明 歌集「山下水」より




甘草(かんざう)の摘むべき畦(あぜ)を見に出でて三月二十日山鳩を聞く
萌えいづる畦の青さは寄せて来る潮(うしほ)のごとし吾をめぐりて
南吹きし一日の夕べ白梅のそのはつ花のすがすがとして
日を受けて開ききりたる蕗(ふき)の花二つならべる二つうつくし
雪とけし泉の石に遊びいでて拝む蟹をも食はむとぞする


 終戦後、初めて迎えた春のよろこび。疎開先の群馬県の峡村にあって自分で耕し、野草や蟹など採ってたくましくも窮乏生活に生き生きと耐えている。文明の戦後短歌の牽引はこんな生活とともに進められた。
 早春、三月の歌なので紹介した。
                     

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