作品紹介

若手会員の作品抜粋
(平成21年2月号) < *印 新仮名遣い>


  武蔵野 坂本 智美 *

雨音が君との会話かき消して言葉以上の思い伝える



  千 葉 渡辺 理紗 *

ことこととお鍋が煮える優しさで君の目を見て返事をかえす



  大 阪 目黒 敏満 *

うねり行く地下鉄に我が身をまかすれど眠る能わず何思わんか



  倉 敷

大前 隆宣 *


雨の中孟宗竹は雫を弾き私は元気と私に告げる



  高 松 藤沢 有紀子 *

青き海にぽかりぽかりと牡蠣筏瀬戸内の海は今日も凪なり



  宝 塚 有塚 夢 *

程よい緊張の卒論中間発表会前向きなアドバイスにほっと安心




(以下 HPアシスタント アイウエオ順)

  福 井 青木 道枝 *

わが言葉に語り伝えたきことありて今日を待ち待ちて聴衆のまえ
ハンドルを握るもまばゆき西の空暮れゆく町をひかりの方へ


  横 浜 大窪 和子

夫に子らに思ひをかけて来し一生(ひとよ)なれど独りの心なほ持つ
サブプライムの波寄せ来るか受注絶ゆわが小企業も君の会社も


  那須塩原 小田 利文

新型のインフルエンザ大流行(パンデミック)に備へよ二兆円ばらまくを止めて
吾が膝に一心に歌ふ子のありて幸福論も無用と思ふ


  東広島 米安 幸子

丸二日焚きて一の間は九百度わが涙壺の釉薬溶けむ
窯の中をオレンジ色の炎這ひ大きなる壺も火の(くわい)となる


  島 田 八木 康子

書くことは己に向けて語ることかかる現実も沁みて思へり
あきらめのことば咎めて掛けくれし声がひたひた我を離れず



選者の歌


  東 京 宮地 伸一

来年の歌会にぜひと言ふ電話生きてゐるならとけふも答へぬ
夜半に目ざめ原稿用紙に向ふ時ひと(くち)飲むを己れに許す


  東 京 佐々木 忠郎

昭和五十三年恰も今日の吾が齢威儀正し読まむ文明先生のみ歌を
十月十五日秋のさ中の良き日なり先生の百二十六首こゑ高く読む


  三 鷹 三宅 奈緒子

黄の上衣の女壺よりミルク注ぐそれのみの画面にまたき静謐
さまざまを削除してつひの単一に仕上げきとこのフェルメールの手法


  東 京 吉村 睦人

漱石に「君し帰らばおくつきに草むしをらむ」と子規は送れり
行方不明となりゐし経緯(いきさつ)を明かさぬを条件に返還されし『竹乃里歌』


  奈 良 小谷 稔

兵の日の中国語を恋ひベッドにて兄は講座のテープを聴きし
足萎えを人に見らるるを憚るかわづか三軒残れる村に


  東 京 雁部 貞夫

川床に暑さしのぎし日もありき鮎の「うるか」に(はい)を重ねて
これからは(よきくさ)は「悪魔」と書くべしとガラス戸拭きつつ妻は威嚇す


  福 岡 添田 博彬

CTにて腫瘍の位置を規整され針のごときに忽ち刺されぬ
胸水のあるとき痛まず過ぎたるに細胞診てより時折痛む


  さいたま 倉林 美千子

少年の日が甦ると静かなる(ろん)の電話はボンよりのもの
教会もギムナジウムもそのままに首都ならぬボンは穏しと言へり


  東 京 實藤 恒子

妻君の病を気遣ひ張りのある電話の声は逝く二十日まへ
「文語去りなば短歌はあらじ」と詠みましし片山貞美氏逝きしを惜しめり


 (石井登喜夫選者は入院中のため欠詠)


(以下 HP指導の編集委員・インストラクター・アドバイザー)

  四日市 大井 力

癌手術四箇所五たびをしのぎ来し叩き上げ憲兵義兄あやふし
憲兵のままの帰還のいきさつを語らずこころを閉ざしし一生


  小 山 星野 清

白み来し窓を開けばたひらかなる利尻の海を照らす月光
ウニを割きてみたしと言へる妻のままに市場の隅に割くを見てゐつ


  札 幌 内田 弘

湯豆腐の崩れゆくまで酒酌まむ一人の夜のこころ貧しく
地下街の人口滝に屯する人らはそれぞれの孤独のままに


  取 手 小口 勝次

友らが拭き清めし野水ビルの部屋難なく家主に明け渡し終ふ
新しき発行所に初めて行く今朝ははやく目覚めて心昂る


先人の歌


 短歌新聞の依頼で新年詠を探しました。土屋文明の終戦直後の歌に感動、現代の農政との間に隔世の感を抱きました。

 『山下水』新年の歌(11首より抜粋)

国せまく山の常陰(とかげ)も麦蒔きて麦の上なるにひとしの雪
新しき年に食ふべく望み掛けし麦の上なる白がねのゆき
新しく来たらむ年を饑ゑしむな国こぞり待つぞ麦の上の雪
はつはつに白雪の間にみどりなる麦の芽によらむ日本の生命(いのち)
老松の枝にも若松の木末(こずゑ)にも清きしらゆき今年稔らしめよ

 文明は川戸に疎開中、自身も畑を耕しました。有名な「にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華(あづまいちげ)の花も閉ざしぬ」もこのころの作です。
新年の雪が「いやしけ吉事(よごと)」であることも心にあったでしょうか。狭い国土を懸命に耕して日本は復興したのです。
                     

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