作品紹介

選者の歌
(平成24年8月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

五月のひと日君のホームにつどふこと慣ひと吾ら幾年経しか
なに備へなく北より出でて来し吾を暖かに容れ下されし人ら


  東 京 吉村 睦人

塩田も除虫菊畑も無くなりてしまなみ海道の橋脚の立つ
びつしりと花をつけたる蜜柑の木栽培放棄されたる畑に


  奈 良 小谷 稔

庫裡の二階のガラスの澄めり若き日の吉田先生籠り勉めき
昭和二年夏ふた月をこもりまししみ寺ぞ今は無住とはなる


  東 京 雁部 貞夫

墨堤下広き屋敷の跡ありき水戸様と呼びて遊びき少年われは
幸田露伴作りし校歌を口ずさむ「墨田の川は我が師なり 」


  さいたま 倉林 美千子

石はあり石に入るまでを如何にせむ子は相談に帰国すといふ
赤々と大き満月ゆれ昇り鉄塔は見知らぬシルエットとなる


  東 京 實藤 恒子

原爆ドームに残る窓枠のなか金環のややに欠けたる異形(いぎやう)の日輪
木漏れ日の芝生に蝕の日あまた映る原爆ドームの見下ろす苑に


  四日市 大井 力

村びとが出合仕事に下草を刈りくれし宮居の森の今日の歌会
何よりも手先に詠むをいましめて死に替り入れ替り五十余年の会か


  小 山 星野 清

八十六歳逝きしと聞きて取り出だすディスカウの「冬の旅」のLP
ディスカウの深き思ひにふれて聴く四十代半ばの声のうるはし



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

魚さばく夫の手もとを見ていたり幼き頃のこころとなりて
かたわらに何も言わずに居てくれるひとりのありて五月の夕べ


  札 幌 内田 弘

睨み付け生きゐる如く鮟鱇が店先に吊るされ冬は来にけり
頭から食らへば少しは淋しさも減るかシシャモよ雪は止まない


  横 浜 大窪 和子

おのが淹れし一碗の茶を手に包みまたもどり来し思ひにしづむ
一夜宿りて嘶くを聞かず都井岬に野生を保ち生き居る馬ら


  那須塩原 小田 利文

養はむ子ありて通信教育校に五十三歳の吾が入学す
指の骨折れても休まぬ横綱を見事と思ふ気の毒とも思ふ


  東広島 米安 幸子

鐘楼門ただちに本堂傍(わき)に庫裡すでに無住のみ寺なりけり
田拵(ごしら)への始まる盆地を統べるかに九頭竜川は豊かに流る


  島 田 八木 康子

人の醸すマイナスの磁場に疲れしか目覚めて重き体を起こす
矛先はすぐには向けずまづ一つ深く息吸ふ術も覚えぬ



若手会員の歌


  奈 良 上南 裕 *

無意識に空(あ)いている手を背へ回す切断事故を恐るるゆえに



  宝 塚 有塚 夢 *

メディアには踊らされぬと思いつつ天体ショーならよいかとおもう



  高 松 藤澤 有紀子 *

初めての定期テストの始まる朝我が胸の内にファンファーレ鳴る




先人の歌


一度は見よ

アメリカの大統領も一度は見よこの無残なる原爆ドームを
歌会始まる前に今年もめぐり見る原爆ドームはあな息づかし
原爆ドームのなかに伸びたつ草も見え安らぐ心去年(こぞ)も今年も
セレベスの司令部にゐて暗号の第一報を受けしかの日よ
暗号の第一報は特殊爆弾次には原子爆弾となりき
司令官や参謀よりもいち早く原爆を知りき暗号兵なれば
「日本は勝つと思ふ」と答へしは叱られて「必ず勝つ」と言はしめられき
司令部の前に出合ひし阿南大将緊張して捧(ささげ)銃(つつ)をせし日もありき
帰国して陸相となり切腹せし阿南大将を思ふ切なさ
原爆ドーム遠ざかりゆくを見つつ思ふ原爆持つ国今幾つありや

宮地伸一 全歌集::続葛飾以後・第二部より
平成24年7月2日  現代短歌社より発行

                     

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