作品紹介

選者の歌
(平成25年2月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

点滴のみの五日を過ぎてわがねがふ摂りたし熱き茶熱き白粥
抑へがたき不安はあれどなほ賭けむ青年医師のこの明るさに


  東 京 吉村 睦人

中央の歌壇とは関り持つことなく独自の歌詠みし源実朝
古くからの言葉なれども用ひむか今の思ひに相応しければ


  奈 良 小谷 稔

枝谷の谷それぞれに霧湧きて忍阪の山一日雨降る
鏡女王の墓といへども常ならず赤松枯れていまは檜生(ひのきふ)


  東 京 雁部 貞夫

苦き思ひ噛みしめ噛みしめ向ふのみ選歌はつひに孤独の作業
歌よみに悪人居らずと言ひ切りし宮地氏まことに善き人なりき


  さいたま 倉林 美千子

対岸の古里より流れ着くといひ貝殻を探す友はしきりに
探し当てし宝貝の殻を包みくれぬこの朝会ひしばかりの友が


  東 京 實藤 恒子

港のまへの高根(かうね)島をまなかひにたち来るはなべて幻にして
取りどりの柑橘の花の香をまとひ潮の香まとふ風ひかるなか


  四日市 大井 力

入鹿邸とおぼしき発掘に勃然と起こりし待伏せ暗殺の説
板蓋宮の政変とこの国はうら悲しくも伝へ来りぬ


  小 山 星野 清

聞こえよき聴診器に診るは楽しきかねんごろなり君の今日の診療
よく聞えるだらうと君はわが耳に新しきデジタル聴診器あてがふ



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

たからかに讃美歌うたう少女期の友らのなかに溶け込めざりき
平凡は嫌と言い切りし少女の日のこころはひとり保ちてゆかん


  札 幌 内田 弘

風騒ぐ晩秋の夜は君と呑む前後不覚になるまでの自由
烈しきものに打たれしままに萎れゆく今宵の心は平凡にあらず


  横 浜 大窪 和子

華僑総会恒例のパーティーに誘はれて華やぎ踊る海辺のホールに
尖閣のいざこざはあれどかく和み集ひし感謝を告ぐる主催者


  那須塩原 小田 利文

その朝に休日保育と知りし子は布団へ跳べり何か叫びつつ
語る言葉乏しきままに振舞は少女らしさを日ごと増しゆく


  東広島 米安 幸子

設計者イサム・ノグチの平和大橋日の出日の入りをシンボライズせり
ややに反る欄干に覗く元安川被爆者の熱を鎮めし川よ


  島 田 八木 康子

十年を迷ひ来たりし翼状片の手術をつひにわれは決めたり
執刀医と手術を約し帰りこし日より眠りぬ落ちゆくごとく



若手会員の歌


  堺 佃 朋子 *

好きだった歌や物らが層になりミルフィーユのごと私をつくる



  尼 崎 有塚 夢 *

自信とは何ができるということでなくあるがままの我を信ずること



  奈 良 上南 裕 *

夜勤より帰りて朝日の差す窓辺にポトスの鉢を移して眠る



  高 松 藤澤 有紀子 *

「その使命感間違ってるぞ」と傍らの夫は我の荒れた手を撫ず




先人の歌


石井 登喜夫 歌集 『東楓集』より

カメレオンの餌箱に動くこほろぎが冬の夜すがら鳴きて眠れず
山裾にひとつかみほどの雲生まれ動くと見れば消えてゆきたり
茫々と熱に臥しゐて生まれ来し土地の匂ひを思ふ何ゆゑ
たそがれは何か親しく海鳴りは何かさびしく墓の石ひとつ
われ此処に在りとも在りしとも言ひがたく心うごけば聖書をひらく
秋彼岸にかへり来し子の姿かと草かげろふを手のひらに置く
音立てて落ちくる枯葉音なき葉散り際の差といふも身にしむ

 石井登喜夫先生は「新アララギ」ホームページの生みの親である。2000年の開設から2006年に亡くなるまでHPを支え、見守ってくださった。その最後の歌集から数首をひいた。憂愁に満ちた抒情的な作品を深く味わって頂きたい。

                     

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