作品紹介

選者の歌
(平成25年10月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

押し車を押す身となりても今日の日の一票はと暑き鋪道ゆきたり
かつての少女も今は老いつつ足弱き吾をたすけて投票所まで


  東 京 吉村 睦人

今日もまた暑き日なれどどうしても行かねばならぬ会合のあり
先週は坂戸今週は青山来週は本庄どれも九条を守る歌人の集ひ


  奈 良 小谷 稔

七時間の全身麻酔より醒めて蘇生たまはるこの老いし身に
胸の上に聴診器幾たびか触るる間に夕雲の朱みな消え果てぬ


  東 京 雁部 貞夫

今宵食む浜防風はほろ苦し石狩浜に摘みし日遠く  笹原登喜雄氏を偲ぶ
石狩の川のほとりに鮭料理幾皿変へしや若き日われら


  さいたま 倉林 美千子

しぶき降る雨に包まれし午後に聞く古里の義姉(あね)の身罷りたるを
帰り路は振り向くなよと古里の墓山に導きて義姉の言ひにき


  東 京 實藤 恒子

姑を夫を看取りて見送れば病みがちとなり久しき友よ
教諭として二十余年を共に勤め助けられたる思ひは深し


  四日市 大井 力

仏教をここに伝へし国の空渡り来し霾(ばい)が西山かくす
千年後は如何なる空か思ひをり霾にくもりて白き日輪


  小 山 星野 清

立ち寄りし市立博物館にひさびさのナウマン象の歯にまみえたり
人を避けてこの象の歯に関はりし夏ありたりき四十年過ぐ



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

ひとり来て風に摘みいるブルーベリー熟れしは土に音たてて落つ
ふるさとにわたしを待ちて今日もあり少女の頃に見捨てしピアノ


  札 幌 内田 弘

日の入りていまだ残りし紫の平たい空を見てゐるベランダ
ドア閉ざし覗きレンズに見てゐむか向かひの開かずの部屋の親爺が


  横 浜 大窪 和子

諜報暴露の後(のち)にいづこを流離(さすら)ふか男追ふ国匿へる国
アゼルバイジャンの旅の一夜に逝きたりと山の友の訃とつぜん届く


  那須塩原 小田 利文

転職をせざりしは吉と働かむ新しき名刺百枚届きぬ
吾が一人の夕餉はアンパン一個のみ買物に出るも億劫にして


  東広島 米安 幸子

祖父の釣りし鮎恋しみし母おもふ咀嚼かなはずなりにし後も
農を担ふ人の減りゆくわが峡も集団営農の実現化計る


  島 田 八木 康子

山ひとつ隔てて万歳の聞こえ来し彼の日の祖父の心を思ふ
傍らにただ見つめゐき色あせし軍事郵便焼きゐし母を



若手会員の歌


  東 京 加藤 みづ紀 *

波照間の幾重もの青き海を背に信号なき道に座り居る山羊



  所 沢 斎藤 勇太 *

突然のゲリラ豪雨に傘もなくびしょぬれになり家路を急ぐ



  富 士 秋山 真也 *

駆けめぐるあじさいの花の花器のもの宇宙は広くて狭い



  尼 崎 有塚 夢 *

「あなたは強い人だ」という言(げん)東京の友からメールでもらい受けたり



  奈 良 上南 裕 *

節電にコンプレッサー停め絡みつく切粉を手で除け鉄を加工す



  高 松 藤澤 有紀子 *

五十年の校舎が取り壊されぬ新しきものを受け入れんがため




先人の歌


樋口賢治の最晩年の歌

眠りより覚めてききたる蝉のこゑ故知らなくに心しづみて
ふるさとの浦臼メロン一函の荷を解くしびれのなくなりし手に
み濠辺の桜木立をつつむ靄すがし淡々しかなかなの鳴きて
秋の月あくまでも澄みて差す部屋の五人の寝息それぞれの寝息
朝もやの動くことなく静まりて汗ばみし膚のいつか乾けり

明治四十一年生まれ
昭和五十九年没

樋口賢治は北海道に生まれアララギ一途に歌を詠み命を掛けた。上記は最晩年の歌である。病室にいて抒情味あふれる歌に没頭した。

                     

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