作品紹介

選者の歌
(平成25年11月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

安曇野を恋ふれど行き得ぬこの夏は老人(おいびと)さびて家ごもるのみ
風わたる林よ清き沢水よおもふ年々のわが安曇野を


  東 京 吉村 睦人

秋づきし日ざしとなりしベランダに爪切りをれば眠気もよほす
洗足流れより飛びて来たりし御歯黒蜻蛉かベランダの草にしばしとどまる


  奈 良 小谷 稔

ナースの手の熱きタオルに拭かれつつ若かりし母のまぼろしに立つ
手術後をはじめて歩みゆく廊に親しいつくし畝傍山見ゆ


  東 京 雁部 貞夫

「学食」に過食戒むるラテン文字飽食の世の若者よ見よ
「食べ放題」の朱の文字繁き食堂街いやな言葉だ「食べ放題」は


  さいたま 倉林 美千子

訪ふ度に義姉(あね)と登りし山墓にその義姉葬ると沢に沿ひゆく
武甲山は雲に閉ざされ見えずなり通り雨白々喪の家に降る


  東 京 實藤 恒子

みいでたる美しき古きこの動詞に落ち着ける小論今日はここまで
置いてけ堀をくひてうろたへゐし夢かきのふのクラス会に関はりありや


  四日市 大井 力

保てるにくるしむ心を知れよとぞ月々の歌誌送りたまひき
何処にか水の落ちゆく音のして何かが身を去る気配がしたり


  小 山 星野 清

美術館の人混みに自国語の案内書見つつ老いたる人の休らふ
かつてせしパリのひとりの旅を思ふくり返しルーブルの椅子に憩ひし



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

愛らしき手押し車とわが目には映りて先生あゆみ来たまう
ちから尽くし尽くして及ばぬ事ありと今は知りたりわが事として


  札 幌 内田 弘

左折するまでは我が娘なり言はずとも何でも知ってるやうな夕闇
社員証下げて腕を捲りつつ何でも分かると言ひたげなお前


  横 浜 大窪 和子

峡深く辿りてゆけば轟ける安(やす)の滝たぎちに虹をうかべて
降らぬ里降り過ぎる町の伝はりて鶴見川いま膨らみてをり


  那須塩原 小田 利文

昨年までは妻と見し子の成長をメールにて読む一人の部屋に
週末のファミリーとしてあと五年暮しゆくべしそれが現実


  東広島 米安 幸子

原民喜「原爆被災時の手帳(ノート)」あり後のち『夏の花』となるべく
いつまでもあがる炎を呻く声を書き止めしかこの石段にて


  島 田 八木 康子

小学生の我らに聞かすとレコード針やさしく置きて「エリーゼの為に」
フランスパン薄きをかりりと焼き上げて一人留守居の三時のラスク



若手会員の歌


  東 京 加藤 みづ紀 *

席につき新聞広げ記事探す「広報」のわれ二年目の夏



  奈 良 上南 裕 *

石鹸で「の」の字を描いて作業着の黒き油をタイルに流す



  高 松 藤澤 有紀子 *

親子して照り付ける日よりも熱かりし受験生らの夏の始まる




先人の歌


五味保義歌集『一つ石』より(昭和三十一年)

折々

造り足しし二階の木の香こよひより四人の子らがベッドに眠る
息迫り苦しみし妻しづまれば来たりて机のうへを片づく
まさびしき思ひ時の間も止むなきに室を暗くして一日(ひとひ)臥すつま
書き上げし原稿綴(つづ)る一人の時涙にじみてわれは居りにき
雪ふりし二日ののちの今日の晴ちりすぎむとする梅林(ばいりん)てらす

*五味保義先生(1901〜1982)は大戦後、「アララギ」を復刊させ、長く同誌を編集発行人として支えられた方です。現在「新アララギ」で作品合評を行っています。しみじみとした率直な作品を味わってみてください。

                     

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