作品紹介

選者の歌
(平成27年3月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

遠き日の生徒らといまに心通ひともに世をかたり歌をかたらふ
ながき縁をたもちたもちて若きらがわが誕生日を祝ひて唄ふ


  東 京 吉村 睦人

わが身体のどの部分を癒しゐる機具ならむ夜半もあかりを点滅しゐる
口述筆記やうやく終へくれし妻なり面会時間ぎりぎりにして


  奈 良 小谷 稔

冠動脈治療して退院の日に買ひし竹の麻姑(まご)の手よ十五年経し
本を元の位置に戻さぬ怠りを重ね重ねて老いとどまらず


  東 京 雁部 貞夫

あつけらかんと内幕さらす今日の記事「戦犯」の論議の痛み忘れて
B級戦犯と自嘲せし先生の長き日々その悲しみを吾は忘れず


  さいたま 倉林 美千子

工房に炉の燃ゆる音若者のゴム靴が三和土の床動く音
吹き竿の先に火玉となりし物吹けと言はるるもわが息足らず



  東 京 實藤 恒子

この信濃を往き来してはや十二年山国ゆゑの災害多く
この年は茅野の雪害木曽の土石流御嶽の噴火白馬村の地震(なゐ)


  四日市 大井 力

日の当る冬木の瘤に足止めてよしなき事を思ひてゐたり
横ざまの雪に欅の並木道受診の為に傘かしげゆく


  小 山 星野 清

世の被護を受けてこれより生くる身か障害者手帳今日交付さる
これ程の支援を受くる弱者かと気が滅入る福祉の説明受けて


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

夫の言う夜明けの雷を覚えおらず草のうえには霰のありて
家うちに雪の夕べをこもり居て雷の閃光に照らされている


  札 幌 内田 弘

詰まらない話を梅割り水割りに誤魔化し今宵は個室居酒屋
頭下げ頭を上げてお互ひに嫌ひを確かめそしてグッバイ



  横 浜 大窪 和子

キューバとの国交回復オバマ政権にてなし得しことをわれは喜ぶ
訪れしハバナの街の今宵映るヘミングウエーの像座るカフェも



  那須塩原 小田 利文

帰らむとするに仕事の依頼あれば今日も日延べす床屋に行くを
幾年か胸の内にて温め来し夢ありどれもささやかなれど


  東広島 米安 幸子

荼毘に付す熱気が呼ぶか降りしきる雪を乱して舞ひあがる風 悼今田正昭様
野辺の送り事なく済みて帰らむに先を暗めて雪降りしきる



  島 田 八木 康子

水盤の水の表にさざ波を立てて過ぎたり今朝の地震は
肺病みて体育の授業に出ざりしがわがコンプレックスの初めなりしか



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

葛飾の橋の上より見ゆる富士山真白き姿に高鳴る鼓動



  東 京 上  かの子 *

こぎすぎたブランコにただしがみつく地べたに足がつかないように



  東 京 加藤 みづ紀 *

定年になりし用務のおじさんに贈る花束買いに走りぬ



  尼 崎 有塚 夢 *

唇の端をすぎゆくこがらしの冷たささえも現在(いま)はありがたく



  奈 良 上南 裕 *

妻子らを養わんとただ励みきと同窓会に述べらるる師よ p-95下



  高 松 藤沢 有紀子 *

何もなき地面を見ても浮かび来ぬ五年見慣れし校舎なれども



先人の歌


長塚 節の歌「病中雑詠」より

生きも死にも天(あめ)のまにまにと平(たひ)らけく思ひたりしは常の時なりき
我が命惜しと悲しといはまくを恥ぢて思(も)ひしはみな昔なり
往きかひのしげき街(ちまた)の人みなを冬木のごともさびしらに見つ
我がこころ萎(しな)へてあれや街(ちまた)ゆく人のひとりも病めりともなし
知らなくてありなむものを一夜(ひとよ)ゆゑ心はいまは昨日(きのふ)にも似ず

大正三年から四年にかけての病中詠、喉頭結核にて余命一年との宣告を受けての歌である。茂吉がこの一連について「病中にあって心静かに歌という文芸を見詰めたような歌もあり、しづかな歌調のなかに無限の悲哀を伝ふるものになっている」と評した。

                     

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