作品紹介

選者の歌
(平成28年10月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

ふり返る八十六年その中にきらめくごときひとときのあり
自らの蔵書にて古本屋を始めし友幾許もなく店を閉ぢたり



  奈 良 小谷 稔

走り根のごとく静脈浮ける手の甲つくづくと老いのあらはに
左側の声帯のなき喉ながら人に語れり物言ひたくて


  東 京 雁部 貞夫

碓氷峠の神の社に神楽見き宵より演じ夜の白むまで
若き神主きみ住む所覚え易し群馬松井田峠一番地


  さいたま 倉林 美千子

温かきその肩に触れ吾は呼ぶ吾が為に何かもの言ひ給へ
談笑し議論し長き交はりにかく君が肌に触るるなかりし


  東 京 實藤 恒子

馥郁と香りたつもの靫彦の「飛鳥の春の額田王」
靫彦の強靭なる意思を宿したる額田王に今日来てまみゆ


  四日市 大井 力

生涯の「きり」とも今年の区切りとも交々思ひ生垣を刈る
指きりの指出しそこねし遠き日のこころ白茅の道に思ひぬ


  小 山 星野 清

降る降ると伝へられても降らざれば朝に夕べに出でて水遣る
日をつぎて笊にあふるるピーマン摘み水遣りも生きる張り合ひとなる


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

風のなかテラスの席に向かい合ういまだわが名を忘れざる母と
かがやける目をして見あげ給いたりベッドの傍(かたえ)にわが名告ぐれば  三宅奈緒子先生


  札 幌 内田 弘 *

ロボットの脳が短歌を詠み競い甲子園で勝負している夢
心病む人間をロボットが引き連れて壊れたビルの曠野を走る


  横 浜 大窪 和子

宇宙の彼方に渦巻くブラックホール見つ観念を拒むその映像を
梅雨いまだ明けぬ曇りに一度のみ鳴きしみんみんその後知れず


  那須塩原 小田 利文

肌の色異なる宇宙飛行士ら飛び立つ頃か一つソユーズに
ガガーリン讃へし青き星はありや七夕の今宵空より見れば


  東広島 米安 幸子

唐招提寺に求め給ひし守り鐸(すず)すずしき音してわれに伴ふ
いつ来ても何かしらみる山の道ちさの花青き実となりてゐる


  島 田 八木 康子

「過ちは繰り返しませぬ」原発は果たして過ちならずや否や
「究極の強火の遠火」の太陽が今は突き刺す灼熱となる


  名 護 今野 英山(アシスタント)

ハンモックを木蔭に並べて風に寝るしばし過ごさむ「亜熱帯茶屋」に
鉄砲百合の山を下れば渡久地(とくち)の海海に鯉幟のはためく五月



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

大葉捥ぎ手につく香りを我が嗅ぐ妻にかがせぬ猫も寄り来る
街中に我には見えぬモンスターあらわれ踊る窓を閉ざしぬ



  東 京 加藤 みづ紀 *

出勤の前に客らがカフェですごす朝日に輝く自由な時間
大手町のビル出て神保町へ行く道に見える夕日の滾る赤さよ


  東 京 桜井 敦子 *

キャメロンの説得むなしくイギリスはEUを離脱し己が道ゆく
EU残留に投票したる友ショーン結果を知りて頭かかえる


先人の歌


三宅奈緒子歌集  「桂若葉」より

過ぎてかへらず

心おこし一人東京に出でて来し若き春の日をおもふしきりに
人を恋ひ人を失ひて北のまち離れし遠き若き日のこころ
人ごみに遠き日を感傷してゐたりけふ何に中也の詩のリフレイン
齢過ぎていま思ふなり若き父の母と別れしのちのこころも
夜の更けの蝕をテラスに仰ぎゐるこのいまのときも過ぎてかへらず
おのがまちをつくづくと歩む日のなくて今日ゆけば家々に沙羅の白はな
              「桂若葉」:赤彦文学賞受賞 

 「アララギ」「新アララギ」「北海道アララギ」の選者として、昨年まで全力を傾けられた三宅奈緒子氏が帰らぬ人となられました。尊敬と感謝の心をあわせもちここに謹みてご冥福をお祈りいたします。


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