作品紹介

選者の歌
(平成30年2月号) < *印 新仮名遣い


  東 京 吉村 睦人

岩壁のテラスに眠りたりしごと今夜は寝袋にて星見つつ寝る
岩壁を攀ぢて登りし日の感触今も残りゐるわれの指先


  奈 良 小谷 稔

夢を見る夜の稀なり老いゆけば夢見るこころさへも渇くか
つきかげに茗荷明るく黄に乱れわが八十九の歳も尽くるか


  東 京 雁部 貞夫

くぐもれる白玉つつむ絹の布キルギス少女(をとめ)のまとふ矢絣
西域へ行かず空しき十五年気力残れどわが脚(あし)重し


  さいたま 倉林 美千子

机の前に足冷えてゐる夕まぐれ小さき音してファックスの入る
朝霧のこめし市街を貫きて道あり漠々と何処へ続く


  東 京 實藤 恒子

表門へ下りとなりて茶の花の香りは道の辺の棕櫚の木のした
ひとむらの葉蘭にしだるる石榴の実まつかに熟れてその口を開く


  四日市 大井 力

ふるさとを捨てて移りて五十年共どもの木草多く枯らしぬ
五十年に心臓の手術再々度鬼門の南天救ひくれしか


  小 山 星野 清

世の常のことわりのまま年経ればかの才媛も斯く衰へぬ
襟首のわれのつむじに指ふれて戯れし日もありたるものを


運営委員の歌


  甲 府 青木 道枝 *

芝のうえ乳飲み子這わせ写真とる人あり水面(みなも)のひかりの向こう
パン一斤焼きし匂いの籠もりいる家にさびしきことのみ浮かぶ


  札 幌 内田 弘 *

流れくる霧が前行く人隠し再び人が現れ消える
一人くらい消えても誰も気付かない都市の路地には人の安らぎ


  横 浜 大窪 和子

伝言板といへるが駅にありし日の人の温もりふと懐かしむ
「神のわざはみな時に適つて美しい」若きよりわれを癒しし詞(ことば)


  能 美 小田 利文

家で見せぬ目差に子はあいさつの当番務めて席に戻りぬ
「濃口」の冷やおろし開けて祝はむよ採用面接の通知を受けぬ


  東広島 米安 幸子

初霜にことごとく萎えしカランコエ再生信じてわが切り戻す
球根をうゑし上地(うはち)に蒔くニゲラこぞりて芽生ゆ種古けれど


  島 田 八木 康子

小さなる傷に始まる柿紅葉そのグラデーションを掌に受く
何処の誰とも知らずブログに馴染み来し人の急逝知るのもブログ


  柏 今野 英山(アシスタント)

数多ある古墳に似せし掩蔽壕景色にまぎるる形はかなし
檜の皮を細かく重ねし丸き破風あまたの神のここに祀らる



先人の歌


新津澄子歌集『疎林の風』より

・あるがままの生を肯はむ湖の面に残る余光の澄みし黄のいろ
・わが裸身覆ふは白衣一枚にてやがて絶つべき乳房息づく
・幾重にも巻かれし胸に今は無き乳房張りくる幻覚のあり
・失ひし乳房のことは思ふまじ生命ありて現に月光を浴ぶ
・再発の予感に怯えゆく朝か光あふれて花吹雪舞ふ
・病みし二年に花つけざりしデンドロビューム今日一斉にあふれ咲き出づ
・一羽また一羽飛び立つ白鳥の湖の真上に行きて輝く

新津澄子   新アララギ選者 (1925年−2016年)
 自宅で歌会を開いていた父、新津亨の影響で小学生当時から短歌に親しみ、21歳でアララギに入会した。続いて甲信越アララギ「比牟呂」の刊行にも参加し、長い間、教師・歌人・妻・親として、パワフルな行動力で全力投球し続けた。『疎林の風』の他に第一歌集として『寄生木』がある。一昨年8月25日にその91年の生涯を閉じた。


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