作品投稿


今月の秀作と選評



 (2007年4月)

内田 弘(新アララギ会員)


秀作



けいこ

時を置き散れる桜の並木道和服の人ら傍らをゆく


評)
「時を置き散れる」が見所である。淡々とした詠いぶりが効果的である。和服の人と桜並木の取り合わせが、一般的な面もあるが、良く纏まった完成度の高い作品だ。



斎藤 茂

病む母を看病せむと急(せ)く妻を桜散る道を駅に送りぬ


評)
感情を抑えて、物に即して歌った所に、却って切迫感が出て、しみじみとした一首となった。作者とご夫人の心の交流が伺われて、良い歌だ。



大橋 悦子

記憶薄るる父のカレンダーに弟の誕生日を大き丸に囲みぬ
徘徊のやまざる父は外鍵のつく病室に移されゆきぬ



評)
父上の、病状の進行を冷静に受け止め、詠いきったところが優れている。特に、二首目は作者の悲しみが籠もっていて、哀切である。今月特に優れた二首だった。



英 山

青白きライトに浮ぶカサ・バトリョその曲線に吸い込まれゆく
奥まれる岩屋の廊に行き迷ひひとり戻りぬ雷鳴の中



評)
一般的な旅行詠を突き抜ける作品である。的確に対象に切り込んでいる。二首目には作者の動きが明確に出ていて優れた歌となった。



吉岡 健児

一面に酸漿草生ふる吾が庭にうすむらさきのベニシジミ舞ふ 


評)
結句の「ベニシジミ舞ふ」が上の句の印象的な場面をよく支えている。印象鮮明な詠いぶりに注目した。



新 緑

側に座し麻痺の様子を聞きくるる診療を待つ我を気遣い



評)
ほのぼのとした、情感が感じられる。側に坐って、気遣ってくれている人が目に浮ぶようだ。ひとつの事に絞って歌った事が良かった。その意味で単純化の利いた歌だ。


佳作



イルカ

強き風の寒さに揺れる庭桜色濃きつぼみの今咲かんとす



評)
「今咲かんとす」という下の句が良い。蕾が膨らみ、まさに今咲こうとしている瞬間も見逃さない、詠いぶりが良い。上の句はもう少し、緊密な表現が欲しかった。



けいこ

しずまりて白々咲ける満開の桜もうとし孫去りたれば


評)
結句を「去りたれば」と直して採った。お孫さんが、帰ってしまった後の「桜も疎い」と感じるほどの虚脱感がよく出ている。原作の「去りたらば」では、もし去ったならばという仮定の意味になり、歌が弱くなる。改稿の時の質問を読み返すと、私も明確に答えていなかった。初句の「白々咲ける」あたりは、もう少し工夫が出来るところである。



斉藤 茂

歓迎に園児の歌ふ「数字の歌」共にかぞえてわれも歌ひぬ



評)
場面が生き生きと歌われていて、読むものにもほほえましい雰囲気が伝わってくる。手際よく纏められた歌である。



吉岡 健児

常臥しの子規仰ぎたるガラス窓の傍らに立ち曇りを拭ふ


評)
子規の歌を自分にオーバーラップさせて、引き付けて歌ったところが巧みである。



新 緑

「そよ風がおいしいね」と東京に住みいる友は二十歳に戻れり


評)
ちょつとした友の言った言葉を敏感に感じ取り、一首に纏めたところが、良い。



大橋 悦子

点滴を受けしか父は血のあとの残りし床に深く眠りぬ



評)

父上の看病する作者の細やかな心が伝わってくる歌だ。「深く眠りぬ」が良く利いている。




十夜間 アン

太陽の眩しさについ振りかえる自分の影を確認したくて              



評)
素直に自分の気持が出た歌である。自分の影を確認する事で、自己存在をも確認すると言う独自性が出た歌である。倒置になっているが、「振りかえる」と結句に据えて纏めるほうが落ち着く。


寸言


選歌後記

今月は、投稿者の皆さんが、熱心に推敲した結果、完成度の高い作品になったように思う。歌は、ひとつのことに集中して歌うことが肝要である。そのためには、歌うべき事柄の整理がどうしても必要である。その上で、纏めることを心がけると良い。しかし、歌うべき価値ある題材かどうかの吟味も含めて内容の検討をすると言うことは至難の技である。そのためにも、「自己対象化」と言う言葉を改めて思う。
自分の生の感情をそのままぶつけて歌えば、勢いはあるが、作者が思うほどには、読むものの心を打たない、ということになり勝ちなのが、悩ましい問題である。しかし、そこを、推敲と言うフィルルターを通すことで、「対象化」が現実のものとなることも事実である。このことを、肝に銘じて、今後も推敲に励んで戴きたいと思う。
自分の思いの丈を実感に基づいて、伸び伸びと、しかも大胆に詠んでいきたいものだ。

               内田 弘(新アララギ会員


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