作品投稿


今月の秀作と選評



 (2009年2月) < *印 新仮名遣い>

倉林美千子(新アララギ選者・編集委員)


秀作



太 田

もつ鍋をつつきつつ友が「職がない」と湯気のむかうに不意に呟く
晦日近きこの年の瀬に街はさびし歩き歩きて友と別れぬ


評)
一連五首ともに、現在でなければ歌えない素材を身近なところで取り上げている。特にこの二首は独立性もあり、二首による相乗作用も顕著で、友の寂しさを受け止める作者の気持がよく出ている。



吉井 秀雄


甲斐信濃分かつ岩尾根風猛り金峰(きんぷ)山頂雲留まらず
明日また職場にて履く安全靴と同じ色なり吾が登山靴


評)
大分苦労しましたね。「岩尾根に」の「に」を省きました。登山の歌ですからリズミカルに。下の句良いです。二首目はどうということはないのですが心惹かれます。



松 本


主病む稲田かここの一枚のみ稗にまみれて未だ刈られず



評)
二句の言葉入れ替えました。これも昨今の問題を含んだ歌で、しみじみ読みました。「長生きしいや」は括弧の中が長すぎるので、(長生きせよ「わても‥」)と初句を作者が言い換えてはどうでしょう。


佳作



金子 武次郎 *


元旦の朝(あした)に母が新足袋を揃えてくれし遠き日ありき
疲れて帰り妻の作りし千切りの大根汁の熱きを啜る


評)
叙情性の強い回想詠ですからなめらかなリズムがほしい。「幼き」と言はずとも「遠き」で判るでしょう。二首目も何処のご馳走よりあったかくておいしそう。「疲れて」と「て」を補います。続けてください。



ELVIS


濃紺が茜を覆いゆく空を見入るふたりに鳴る「七つの子」



評)
最後の貴方の入力で貴方の迷いを知りました。「電柱の」の歌には、現代流行の「比喩さがし」の影響が濃くでています。こういう作り方は軽くて幼稚になると私は思います。佳作に入れたこの歌は三首の中でダントツに良い。ほのぼのと温かくて「ふたり」が効いている。自分の言葉で飾らずに詠むのが新アララギのやりかたです。
歌は作者と読者の交感の場、仲間は歌い合うことで結ばれます。



天井 桃


初夢で再会したる亡き友の微笑み我の励みとなりぬ


評)
「できし」を「したる」としました。そういうこともあるのでしょうね。二首目も良いと思いますが、「祖母」は作者の祖母、「娘」は作者の娘でしょうか。娘さんにとっての祖母でしょうか。「初詣我の」だったらいいのになあ、なんて。



さつき *


北風にせかさるるごと公孫樹散るその実を拾ふ翁の背にも



評)
「ぎんなん」を「その」とし、言葉のダブリをなくしてみました。状景が目に見えるようでいいですね。他の四首も訴えたい内容はよくわかりますが、言葉の選択、順序等、もう一歩です。続けてゆくうち会得するでしょう。



まりも


生受けて三十時間の嬰児を抱きて湧き来し哀しみは何



評)
本当にそうですね。この哀しみ(感動)は何なのでしょう。こみあげてきて胸がつまります。一首目の「こころ病み」は作者ですか。大丈夫。いろいろ心配を抱えていのは貴女だけではありませんよ。
歌は、もう少し言葉を整理してごらんなさい。



山本 景天


讃美歌の声の響ける教会のバージンロードを娘と歩みゆく
除夜の鐘がテレビ画面の御寺から聴こえ来たれば仕事を終へぬ


評)
一首目は記念のためとっておきましょう。二首目、押し詰まるまでお忙しかったのですね。しかし充実感のようなものも感じます。



ベコニア


軒下にチュンチュン小鳥達が来て一人暮しの我を慰む



評)
「鳥達」を「小鳥達」に。調べもよくなるでしょう?一人暮しも楽しくもなるから、頑張って一緒にうたいましょうよ。



新 緑


「怠け者と言われ悔しい」と心臓病む友は杖つく我に話しぬ


評)
内臓の病気、また神経系等の病気は外からみてその苦しみが判らないから、よくそんなことを言われるのでしょう。杖をついている作者に安心して訴えてみたのでしょうね。それを受け止めている作者です。



けいこ


プリキュアのカルタはイヴのプレゼント読み手にもなる文字覚えし子
ブルーベリーと蜜柑の寒天作り置き子にさよならをして汽車に乗る

評)
文字を覚えたばかりのお孫さんでしょうか。作者は仲良しのおばあちゃまかな? 一首目からそんな想像が可能で、このままで良い歌です。二首目も気持のこもった歌と思うが、「蜜柑の」と「の」を補ってみました。それでも「寒天をつくる」のかな「ゼリー」ではとか、「汽車」で正しいかなとか、ちょっとずつ不安が残りました。


寸言


 今回は一人一人にかなり詳しい選評を入れました。参考にして下さい。ご自分のものばかりでなく、他の方の作品と作品評も読んでください。添削は絶対のものではなく、それを取り入れる取り入れないは作者の自由ですが、今回は最終稿にも原作をこわさない程度添削を試みました。それは私も添削により目を見張るような思いを何度も経験したからです。また、この程度の添削は本誌の投稿歌にも各撰者行っています。
 しかしここはあくまで一人で歌えるようになるための習作の場です。青木さんは作者自身の作品にするために極力添削を避け、苦労して助言しています。そうしてできあがった発表の場、成果の場がこの「秀作と選評」欄です。つまりこの欄の作品は既に発表した作品とみてよいでしょう。


           倉林美千子(新アララギ選者・編集委員)


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