作品投稿


今月の秀作と選評



 (2009年3月) < *印 新仮名遣い>

小谷 稔(新アララギ選者・編集委員)


秀作



金子 武次郎

「今こそは匍匐前進」と口に出る折おりのあり昭和一桁



評)
戦時中は「軍事教練」という厳しい時間があった。半世紀過ぎても時に出るほど少年時代の心に深く刻みこまれた。作者とともに今の平和をかみしめたい。



太 田


わが指に柚子の香りの残りゐてつめたき蒲団引き寄せて寝る



評)
柚子風呂は冬至の型どおりの風習で今では陳腐な代表と言っていい。柚子風呂を詠む人は、まず初心者と見てよい。この作はその柚子は軽く脇役にまわして孤独感を中心にしたので情感の深い作になった。



松 本


古池まで歩くをわれの日課としその速さにて体調を知る



評)
歩くのを日課にしている人の歌も多く見られる今日である。この作はその速さでその日の体調を知るというところ、体調に不安の多い年配の人の気持ちをよく捉えている。



新 緑


道中の公園に入り花を見て気持ちあらたにリハビリに行く



評)
公園に寄るというだけの表面的な原作から「花を見て」という具体的な生き方を捉え、さらに「気持ちあらたに」と推敲した。習慣化した単調なリハビリ通いも一回きりの新鮮な気分を詠むのがよい。


佳作



市 村


隠り水の音こもりゐる春日山この原生林に人影はなし




山本 景天


御寺にて座禅組みゐるわが視野に蝋梅の黄のうつむき咲けり




けいこ


手を繋ぎをさなと上る園の道「やまたのおろち」の話などして




吉井 秀雄


霙降る小暗き庭に濡れそぼつ寒水仙の今は匂はず




勝村 幸生


朝の海に休みをりたる鳥数多飛び立たむとしてざわめき始む




美 糸


蝋梅を手折って孫に見せてやりわが母の顔祖母らしくなる




まりも


正月に使ひし布団を干してをり鈴鹿の山に雪が輝く



寸言


叙景歌(自然詠)は、嫌みはないが類型、類歌から脱出するのは大変むずかしい。今回も秀作には自然詠がない。佳作には自然詠が多くなった。勝村さん作は純叙景歌、市村さん作は「人影はなし」という人の存在をイメージさせながらそれを否定して自然を強調する。山本さん、まりもさん、美糸さんのは、自然と生活の融合であるが選ばれた自然がその生活に陰翳を与えるのでこれもよい稽古になる。山本さんの座禅という生活と蝋梅という自然との微妙な関係がよい例である。




           小谷 稔(新アララギ選者・編集委員)



バックナンバー