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今月の秀作と選評



 (2009年11月) < *印 新仮名遣い>

内田 弘(新アララギ会員)


秀作



勝村 幸生


彼の地までそのV字型崩さぬや夜明けのうみを雁渡りゆく



評)
雁の渡りの歌は、前回も選んだが、今回もなかなか良。「V字型」に着目して、一首を纏めたのが成功した。「夜明けのうみ」の情景描写も効果的である。完成度の高い作品である。



新 緑 *


麻痺の我に座席譲りし人の降り思わず手を振り笑顔を交わす



評)
自然体で歌われているのが、何よりも良い。素直な気持ちをそのまま歌にしたところが優れている。「思わず手を振り」に作者の心情が表れている。



うてな


銀河から響きくるごときフルートの八分音符が身体をはしる



評)
フルートの音色だけに絞って、喩えを持ち込んだ所が斬新である。「八分音符が身体を走る」という大胆な歌い方が良い。このHPでは余り見ない作品だが、感じ方が新鮮である。この様な歌にも、どしどし挑戦してほしい。



昭 彦


ゆるやかに反りたる屋根の鬼瓦見上げる空に綿雲の浮く



評)
巧く纏めた歌だ。「ゆるやかに反りたる」という捕まえ方もなかなか良い。嘱目を捉えるときに、神経を張り詰めて凝視することが肝要であるが、この歌は、そこをあやまたずに見て、推敲した所が優れている。



はづき生


外からは見えねどエレベーターひといきに指定の階にたどりつきたり



評)
現代が歌われている。一見何でもないことのように見えるが、よく注意していないと、こうは歌えない。但し、初句はまだ推敲の余地がある。ことわりに終わっている面があるからである。



吉井 秀雄


溶岩の連なる台地に霧籠もり定かならざる道標(ルート)探しぬ



評)
なかなか巧みな歌である。定かならざるルートを探す、という所が、見どころである。臨場感に溢れる詠いぶりが光る。



大 田


連結の列車の刻む音ききつつ背すじ伸ばせば故郷の海



評)
故郷に向かい、連結の列車にいる作者。背を伸ばしたら期せずして懐かしい海が見えた、という素直な気持ちを飾らない表現で歌った所が良い。


佳作



紅 葉


娘からもらひしキリンが玄関で帰りしわれを迎ひてくれる



評)
「キリン」のぬいぐるみの具体がよく一首の中に収まっている。単身赴任の哀歓が背景にあって、歌を引き締めている。「向へくれたり」として纏めよう。



金子 武次郎


われ一人残さるる夢に起こされしドイツの宿の忘れ難しも



評)
単純に「ドイツの宿」と表現した所が、却って良かった。状況の説明は要らない。「夢に起こされた」とだけ歌って回顧している。歌の主眼が明確になり、歌としての完成度も増した。



うてな *


誰もいぬ昼のしじまに悲しみの欠片のごとく皿は散りたり



評)
「悲しみの欠片」はまだまだ推敲しなければならないが、大胆に歌の中に持ち込んだことを評価したい。雰囲気のある歌である。未完成ながら魅力的である。



まりも *


日に一度も笑はぬことあると呟けば友は驚き吾を見つむる



評)
この歌も現代を図らずも表現している。交友関係が狭まってゆく現代を、具体的な「笑う」ということに絞って歌ったのは、手柄である。それを聞いた友の驚きも読む者に、伝わってくる。



福田 正弘


犬曳きて歩む舗道に踏まれたる蟷螂ひとつ動かざりけり



評)
この手の歌には類型はあるが、十分魅力的である。ちょっとした嘱目であるが、注意深く見ていないと歌えない。その意味で、注意した歌である。なかなか神経が張っていて良い。



大 田


海近き故郷の町のそのままに潮風かほる駅に降り立つ



評)
 「そのままに」が巧く収まった。故郷の町に対する愛着が出ていて、良い歌だ。今月の推敲を一番頑張った結果である。



けいこ


シャンプーを終へて鏡に写る顔いよよ似てこし母の面差し



評)
このような感慨を持つのは作者だけではない。そこに説得力がある。母上に似てきたことに感慨深いものがあるのである。母への接近がまた近くなった、と感じさせる歌である。



たびと


リストラを言はれし君は職引きて言葉少なにこもれりと聞く



評)
一連いとこさんの現在の境遇を歌っている。事実の重さを踏まえて、心理的な面に入り込んで歌う。その意味では作品化するのは、なかなか難しいが、この歌は冷静に歌って纏まりのある作品になった。他の作品も良い。


寸言


選歌後記

 秀作と佳作には大きな差があるわけではない。
第一には、歌は理屈ではいけない。従って、歌いたい事をまず、自分の中で整理をし、一番歌いたい事を明らかにして作ることが肝要である。何となく歌にする、という態度はいけない。結果として歌が出来る、というものではないわけである。意識的に作るのである。テーマとまでは言わないまでも、はっきりとした歌うべきことがなければならない、ということである。その上で、、どのように表現するのが、一番言いたいことが伝わるのか、という事を考えることが大切である。
 推敲は、表現のより良い方法を模索することでもある。さまざまな表現の試みをすることも、大切で、そこに個性的な表現の工夫ということが実現されるのである。遠慮せずに、大胆に歌うことも勧めておきたい。

              内田 弘(新アララギ会員)



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