作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2015年10月) < *印 現代仮名遣い>

大井  力(選者・編集委員)



秀作



紅 葉 *


おおらかに野心を述べたあの人も六十五歳になって去るらし


評)
初句「おおらかにに野心を述べた」という把握に作者独自の工夫がある。
普通野心を述べると卑しくなるが、この「あの人」は自分の素裸を見せたのであろう。そういう人も去る。世の習いである。歌はそこを捉えた。



金子 武次郎 *


恩給も名誉もいらぬ己が子を返せと言いし叔母も逝きたり



評)
七十年前の痛切な記憶の歌である。こういう記憶は記録して歴史の一頁にしなくてはなるまい。繰り返し詠み残すべきである。



時雨紫 *


野次飛ばす日頃無口な学生の観戦時の顔初めて見たり


評)
作者の職業は教師と推察。野球か何かの試合の観戦時に知らない学生の一面を見た。この小さな発見は学生の新しい内面を見たのであろう。そこがいい。



笹山 央 *


塾生の自ら紡ぎし糸綛(かせ)の湯をくぐらせば白く輝く


評)
確か作者のこの塾は総合的な着物塾、糸を紡ぐ心根から始って、織る、染める、裁つ、縫う、着る、仕草、舞う、と総合的であると聞いた。和の心を失くしたくないという一念がそうさせたと思う。この作は糸を紡ぐ場面である。一瞬をよく捉えた。



ハナキリン *


ランドセルに汗の滲みしあと見えてひとまわり大きくなりし子の背よ


評)
今、作者が凝視しているランドセルは子の背中から離れているのであろう。汗の跡が見え、目の前には子の背中がある。一瞬をよく切り取った。



菫 *


植木屋が椰子の実切りて降り立てるヘルメット脱げばお下げのおとめ


評)
庭か路傍の風景か。ハワイを想像させるが、おとめの職業も広がりさまざまに女性の活躍がある。新鮮な驚きが結晶している。



夢 子 *


二十もの卵のうちの四個のみ尻に殻つけ動き始めぬ


評)
卵を抱き始める鶏の所作の一連、孵化の瞬間をよく凝視し、切り取った。



鈴木 政明 *


跨道橋の向こうの空の鯖雲に向かいてアクセル踏み込みし夏


評)
鮮やかな風景である。惜しむらくは「鯖雲」は秋の頃見られるがこれは わざわざ「夏」と限定されている。ここは季節は関わりなく歌が成立する。これは過去形で詠われたと思うが、それだけ弱くなったのは惜しい。


佳作



若山 かん菜 *


図鑑とは違う夜空の星の中見つけられたよ北極星は


評)
初句の把握で生きた一首。図鑑とは違う星空、ここが新鮮。



くるまえび *


強風に葉はバサバサのバナナの木然れど実を付け傾きて立つ



評)
いいところをしっかり視線を定めてみている。自然の前に木々も人も等しく風に向かっている。こういう作者の主張であろう。「然れど」が必要か、ここは省いて理が立たないようにしたほうがいいと思う。



ハワイアロハ *


日焼けした足に「勇気」とタトゥー見せ女学生ゆく夏休み明け



評)
ハワイらしい、点景である。女学生がタトゥーを入れるのか。ハワイらしい路傍の景である。夏休みという休息が変化をもたらす、これも現実であろう。


寸言


人は何の為に歌を詠むのか。人それぞれである。投稿者の歌を読むにつれ皆、現実をよく見ている、というこことに安堵した。空想に陥らず現実を見る。そこには移り、変わってゆく時代というか、時間の推移がそれぞれある。今という時間は瞬間に過去となる。ここを切り取る必要があると思った。寄せられた作は皆地味ではあるが、真剣なものであったことに未来の希望を見る思いがした。

大井  力(新アララギ選者・編集委員)



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