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今月の秀歌と選評



 (2017年10月) < *印 新仮名遣い

大井 力(新アララギ選者)



秀作



清原 明


夜の更けを命危ふき母囲み山の麓に家族集ひぬ



評)
茂吉の歌を連想してしまうが、作者は作者なりに今の自分の歌としていよう。歌は叙情歌であるが、叙事でも情緒を伴うものである。背景に深い作者の思いがあるのを見逃してはなるまい。



ハワイアロハ *


十四時間かけてようやくたどり着く吾を待つ父母の施設のドアに


評)
ここにもグローバル化した今日がある。長い時間を掛けて父母の待つ施設に辿り着く作者、父母と交し合う声が聞こえるような作である。



仲本 宏子


憲兵に抗へざりし戦前に似て来し今と翁が言ひぬ



評)
人は簡単に過去を忘れる。七十二年前のことは繰り返し述べなくてはなるまい。この翁の発言は重い。作者が七十数年前に思いを馳せることはまた作者の感慨として貴重である。 



かすみ *


シリアよりオーストラリアに逃れ来し人とラインに言葉を交わす



評)
この作も今の歌である。世界の果てには紛争が絶えない。この作は一切そういう理屈は述べていない。和平の尊さを間接的に主張。時勢が激しく動く中の巧みな作。



もみぢ


虫送りの松明の炎(ひ)が縦横に動きて闇にしるけく匂ふ



評)
叙景の歌として注目。鮮やかに闇の風景が読者の目にも浮かぶ。「虫送り」とは死語と思っていたがまだこういう美しい農作業が残るのか。この作は叙景歌であり、叙情歌である。力がないと詠えない。



原 英洋


すぐ止みし同僚からの着信に用を聞くべく電話を掛けぬ



評)
電子技術の進歩は着信記録に相手を知る事ができる。当たり前のことではあるがこれも今の歌である。歌は時代と共にあるのを実感させる作である。



時雨紫 *


書の師より頂きたりしかな料紙最後の袋に手を添え入れぬ



評)
この作は古きよきものを大切にするこころが動いているのが分かり、心地よい歌である。一首全体に作者の思いが籠っているのがいい。 



中野 美和彦


足も手も目ももう唇も動かせぬ弟が問へばベッドに呻く



評)
弟を思うこころが詠わせているのが分かる。冷静でありながら激しく動く作者の思いがよく伝わるいい歌である。



天宮 じゅん *


後ろより襲われて心身傷つきし六年前を日記にしるす



評)
これ以上はあらわに詠めない事情が、ぎりぎりの表現で述べられ ている。PTSD(後遺症)の歌が投稿にあるのに注目。日記にしるすことができる作者に六年という時間が過ぎた。時間は優しいのか酷いのか、考えを深くさせてくれる作である。


佳作



森田 郁代 *


加齢による病と言われ気づきたり時は確かに進んでいると



評)
人は過ぎてゆくかけがいのない時間に気付かない。結句のありかた、倒置法のありかたをもう一度考えてもいい歌である。いまは原作を尊重した。



鈴木 英一


はや野良着身につく友がトウモロコシボキリともぎて渡してくれぬ


評)
定年後の友との交流であろうか。いきいきと描かれている。擬音が良く効いている。擬音は使い方が難しいのであるが、ここは友への思いが勝っていてよく消化されている。



来 宮


同期会の笑顔の写真と共に来しメールに一行君の訃報が


評)
結句の「訃報が」と尻切れの印象があった。ここは「君の訃がある」とでも進言すべきであったがこのままでも十分通用すると思う。



コーラルピンク *


病い後の不自由憂う義母なれどパイ生地の味は昔と変わらず


評)
「憂う」は「託(かこ)つ」のほうがいいと思ったが、義母を思うこころはよく出ていると思う。優しい思いの溢れる歌である。



夢 子 *


ふと開けし古き菓子箱にくろぐろと蟻が巣をかけ群がりいたり



評)
対象を凝視するというか、かまけていた身の回りを整理するのであろうか、蟻をも凝視の対象にする思いは歌に対しての心構えであろう。



ハナキリン *


病院の最上階に人影の集いて上がる花火待ちたり


評)
作者は入院しているのか?原作からは不明。ただの嘱目でもなさ そう。はかない時間のすぎゆきを感じさせる作である。



紅 葉 *


ひそかにも思いを寄せし面差しは妻と良く似たきみとなりぬる


評)
結句のふるめかしい表現が損をしていまいか?しかし作者の思いはよくわかる。ここは「面差しの妻と良く似しきみとなりいつ」くらいでいいのではないか。



谷 喜一


みどり濃き山の間辿り恋ひて来しここ味真野に沢胡桃(さはぐるみ)白し


評)
丁寧にまわりをよく見ているのがいい。単なる叙景ではなく思い入れがよくわかる作である。



御宮野 はたけ


炊き立ての香るご飯に黒き蠅ひとつとまりて食欲失せぬ


評)
キャンプ先でのことか、わからないが、こういう写生から歌は入る。 じっと見詰める、ここからはじめている作者に敬意をはらいたい。今後に期待しよう。



相市 思咲


黙考し明治文学腹に抱き長じて三十路言葉少なし


評)
初句が無駄であるようで、それでいて妙に胸に入る作である。歌は作ることから入るのか?読むことから入るのか?恐らく同時であろう。写実の歌からじっくり読むことを勧めたい。これからの作に期待しての佳作選出である。


寸言


 今月も真剣に歌に向かう作が多く、コメントを出すのに手応えがあってコメントの出し甲斐があったというか、ひとりひとりの作者の生き方に敬意を払うことができた。まだ手探りの方も見受けられたが、自らに真剣に向き合うということは、身近の自然の営みを見たり、自分の心に素直に向き合うことであると思う。つまり歌にするべきものと丁寧に向き合う事に外ならない。写生、写実に徹することからはじまると私はいまでも信じている。ところが素直であるとか、見たままというのが結局一番難しいことであると何年経っても思うからまた面白い。

大井 力(新アララギ選者)


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