作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2018年10月) < *印 新仮名遣い

八木 康子(新アララギ会員)



秀作



ハワイアロハ *


母親の満腹中枢壊れしか食べても食べてもまた口を開く
この我の腕の中にて逝きたいと言い来し母の願い叶えん


評)
一首目、一読非情とも思える上2句こそ、介護に強靭な精神力で立ち向かう立場ならではの真実の表出そのものだと思う。後の作にその真心が余すなく表現されている。



時雨紫 *


目を閉じて茶の練りぐあいを香にて知り茶筅の音に濃さを確かむ 練るほどに茶の甘み増すと夫の云い緑の口髭静かに拭う


評)
茶道に取り組む並々ならぬ熱意に裏打ちされた一連。濃茶の所作をここまで丁寧に精緻に詠む歌には、出会ったことがなかったと思う。後の作はまたほのぼのとして、作者の眼差しまで心地よい。



まなみ *


立ち並ぶフィトネスマシンに囲まれて不思議の国のアリスの心地す颯爽とトレッドミルに走る人のとなりでバーに掴まり歩く


評)
思い立ってスポーツジムに通い始めた戸惑いと緊張が、一連によく表現されている。その場の自分を、もう一人の自分が客観的に冷静に見つめ直して作歌する、このひとときの悪戦苦闘が、やがて至福の充足になることに心を弾ませている作者が浮かぶ。



はずき  *


友は泣くステージ4のその夫に何をしてももう変わらずと  
葬送の五発の大砲よみがえるパンチボールに友と参りぬ


評)
「空砲」でも良かったですね。パンチボールはハワイ国立墓地を指すとのこと。ニューヨークのうどん屋を詠んだような作は、店名まで出ていると、歌会では「お店の促販コピーですか」と評されていたことも。基本はとにかく多作からということで、心が揺れたこと、心に響いたことをどんどん詠んでほしい。



中野 美和彦


終の朝にも妻は浮かべゐき雪道に初めて出会ひしときの微笑み



評)
力みが削ぎ落とされて本来の力が過不足なく表出されている。3月のこの欄に「中学受験に向かふ雪道に見初めたり青きリボンの少女なりき」があった。時に応じて思い出されることを詠み継ぐことも鎮魂の一助と思う。


佳作



文 雄 *


敬老の日に配らるる饅頭の今年は妻の分も加わる  
要介護の九十二歳も看護師の訪問の日は爪切りておく


評)
ことさら短歌らしくしようとせず、普段の言葉で平明に読む姿勢が心地よい。提出されなかった「ああ天壽を全うしたぞと思うこと折々ありて九十二歳」には賛否両論ありそうだが、私はこの感慨もまた心底から湧き出た声として大切にしたいと思う。



鈴木 英一


初めてのポートランドの到着階背なより不意に孫ら飛びつく  
かつて住みしフェニックスに友を訪う華氏115度の熱風の中


評)
一首目、下の句を読んだ瞬間、弾けるような双方の喜びに読者も包まれる。後の歌も状況把握が端的、この地での連作も含め、訪問先それぞれの感動・感慨もまた読ませてほしいと思う。



かすみ *


目眩して鉛筆置きぬ嵐すぎ戻る暑さがわれを苛む  
身をちぢめ洗濯竿にとどまれるアマガエルおり秋雨のあと


評)
身のめぐりの日常を丁寧に捉えて、目に見えるように詠み得た時の充足感も、作者にとって日々の励みになっているだろうと思う。



山水 文絵 *


久しぶりに訪ね来たりし妹が丸くなりたる母の背を言う  
その細き指に筆持ち我が歌を清書しくれぬ米寿の母が


評)
母娘姉妹の情愛が静かに伝わり、ほっこりする一連。きっとまだたくさんある思い出を折々に詠み継いでほしい。



夢 子 *


心配をしてくれる娘の居らぬ我物忘れ酷しと日記にしるす


評)
淡々と述べて、深い思いがにじむ。「物隠す神が近頃住みついた」という川柳を思い出した。前の作の「物忘れひどくなりたる友は言う心配する娘が鬱陶しいと」と、対で鑑賞すると一層胸に迫るものがある。



紅 葉 *


台風もどこを目指すか分からなくなっているのか迷走止まず


評)
甚大な被害をもたらした今年の台風には目を離せなかったが、初句の「も」によって「どこを目指すか分からなくなっている」のは台風ばかりではないという危機感が言外に込められているようにも感じられた。


寸言
 皆さんが新アララギの心に馴染んで、独りよがりでなく言葉遊びでなく、居丈高な表現や語彙に頼ることなく、日常をありのままに詠おうとしていることを嬉しく思います。そして、歌の世界の底なしの奥深さ、面白さを知り、自身の支えにもなり始めているとすれば、この上ない幸せです。

 

バックナンバー