作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2023年10月) < *印 旧仮名遣い >

大窪 和子(新アララギ編集委員)


 
秀作
 


つくし

いくたびも父母と通いし中央道今日は骨壺そっと抱きて
はたたがみ響けば母を憂いしが今は二階に住む人はなし



評)
中央道は家族で故郷へ向かう道なのだろう。その楽しい路が今日は一変している。現実をそのまま描いた下の句に胸を打たれる。はたたがみは漢字で霹靂神と書く。激しく鳴り響く雷のことで、作品にうまく取り入れて成功している。下の句の寂しさが一段と強調されるようだ。
 


時雨紫

茶道具に風通さむと箱あければ白檀の香に時の止まれり
母の手の感触残るお茶入れを撫でれば姿現るるごと


評)
作者は母上の後を継いだ茶道の指導者であろう。茶道具の箱を開けた瞬間、白檀の香に包まれた。結句の「時の止まれり」が生きている。その香に包まれて、次の歌が詠まれていると感じ、連作としても味わい深いものがある。
 


紅葉

八月は暑い暑いと言いながら実習を終える班長を終える
暗黒の積乱雲と南国の果実ぶらさがる奄美に着きぬ


評)
酷暑といわれたこの夏、作者は何かの実習に班長として奮闘したのだろう。下の句「終える」を重ねたことで迫力が出た。奄美の歌も「積乱雲」「ぶらさがる」など 大胆な言葉を選択して面白い。2首とも活気のある作者らしい個性的な歌だ。
 



「ガラスの部屋」のメロディ聞けば「ヒロシです」独りの部屋に呟きてをり
雨の日は湯船に古きシャンソンの「枯葉」を聴きて身体を伸ばす


評)
もともとはイタリア映画の主題歌だが、柴又ある時期「ヒロシのテーマ」として人気を博した曲。印象的な上の句と、下の句がうまくマッチしている。イヴ・モンタンの「枯葉」に思い出を持つ人は多い。雨の日、湯船で寛ぐ作者に共感する。ある種のさびしさを感じながら。
 


夢子

君の手にすがりて歩く毎日を感謝しきれず短歌に託す
手ぎわよく掃除洗濯してくれる君の背中をさすってあげる


評)
いつも温かく人間関係を詠む作者。この2首もお世話をしてくれる人に対して感謝しても為切れない気持ちをありのまま、素直に表現している。「短歌に託す」「さすってあげる」共に結句が心に響く。90歳になるという作者、立派である。
 


はな

二羽の鴨ふらり飛び来て水抜かれし池をあたふた往き来している
友の呉れし水茄子米茄子長茄子の日替わりランチに秋深み行く


評)
二羽の水鳥が戸惑っている動きをやさしい眼差しで詠んで、臨場感がある。またいろんな茄子のランチが結句の「秋深み行く」に収まるのは意外性があって面白い。鳥取砂丘の歌もよいと思ったが作者の個性が出ていると思われるこの2首とした。
 


原田 好美

夏草の繁れる中に倒れ咲く百日紅の花点れるごとく
美術展に光がテーマの絵画群吾の求める光を探す


評)
庭などでない、野辺だろうか、倒れてしまった百日紅の花が咲いている。そこだけ明かりがついたような結句の「点れるごとく」がいい。あとの歌「吾の求める光」はどんは光だろうと心惹かれる。三首目も面白いがいかにも長すぎる。
 

佳作



大村 繁樹

三国山に今見晴るかす白山の山並み仰ぎき君と五十年前
九頭竜川の湧き流れ来る両白山地今し尋ねむ独りなれども


評)
加賀の白山、2702m、日本三名山ともいわれる。その山を福井の三国山から眺める景の大きな歌だが、下の句が少し思わせぶりである。思い出の歌は難しい。長年九頭竜川を詠み続けている作者、川の源流を尋ねるという今回の歌に期待したい。
 


鈴木 英一

駅を出れば店並び居てすぐ参道これぞ柴又下町情緒
帝釈堂の緻密な胴羽目立体彫刻よくぞこれまで残されしかな


評)
柴又の街の様子を描き、結句に「下町情緒」を持ってきたのはうまいが、少し動きが欲しい。作者の歩みが見えるような。柴又の帝釈天、殊に胴羽目は有名。これも下の句に作者の感慨が出ていていいのだが、「立体彫刻」というより彫られたものを具体的に詠んだ方がいいかもしれない。説明的になっているので。
 
 
寸言

 ロシアのウクライナ侵攻がが未だ収まらないのに、イスラム過激派ハマスによるイスラエルへの抜き打ち砲撃が始まった。人間は哀しい動物である。今回の作品にこれらの紛争の歌がなかったのは、良かったとほっとする思いもあるが、少し寂しくもあった。
 今回投稿された作品の殆どがきちんと纏まりのあるものだった。全員を秀作としたかったが、それでも考えて上位に置いたものは、作品の中に作者の動きが鮮明に見えるものである。心であれ身体であれ躍動感のある歌は魅力がる。
           大窪 和子(新アララギ編集委員)

 
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