新アララギとは

新アララギとは

 『新アララギ』は、平成九年末、わが国の文化財とも言われていた短歌雑誌「アララギ」終刊ののち、その主義主張である「写実」「リアリズム」短歌の一層の発展を願って、平成十年、改めて同志をあつめ、再出発した『新アララギ短歌会』の発行する月刊誌のことです。会員数は約三千で、「アララギ」終刊分裂後も歌壇では最大の結社です。「結社」というのは、志を同じくする者が集まって、その拠出する会費によって運営する組織のことです。
 その短歌作品は、正岡子規以来、長塚節(小説「土」の著者)、伊藤左千夫(小説「野菊の墓」の著者)、島木赤彦、斎藤茂吉、土屋文明などの偉大な指導者に恵まれて、一貫して「写生」「写実」「リアリズム」の手法を堅持して来ましたが、ひとしく「写実」の立場をとっていても、その人により、時代により変化してきました。これからも変わってゆくことでしょう。基本的な態度を変えることなく、現実を直視しながら日々の生活を中心にして歌って行けば、歌の材料が枯渇することはないでしょう。世の中は日々に新しく、日々に進みますし、「言葉」も変化してゆきます。ここで若い人々に呼びかけているのは、「今の言葉で今を歌う」気持ちで、現実をよく見、現実から離れないでいさえすれば、五七五七七の定型詩は誰にでも作れるものだと言うことを伝えたいのです。『新アララギ』は若い人に大きく門をひらいています。まず、作ってみて下さい。空想ではなくて現実を歌うのです。
『新アララギ』という雑誌には「キャンパス欄」という若者のページも用意してありますから、このホームページに参加しながら真剣に短歌の勉強をしたいと思うようになった時には『新アララギ』に加入して下さい。雑誌を手にとって見たい方は発行所に連絡して下さい。「新しい写実」の歌を生み出すのは若い人々のエネルギーです。一緒になって「写実短歌」の新生面を開いてみませんか。
 尚、『新アララギ』には、代表、宮地伸一以下、佐々木忠郎、三宅奈緒子、吉村睦人、小谷稔、雁辺貞夫、添田博彬、倉林美千子、實藤恒子それにこのページのスターターである石井登喜夫と10人の選者がいて月々の作品の選に当たっています。
 ともかく、第一歩を踏み出すことです。最初の一歩を大切にしましょう。

短歌を作りはじめる人のために

 このページを見て下さる方は短歌に何らかの興味を持っている人だろうと思います。作品を投稿して下さる方はさらに一歩進んだ人達でしょう。短歌というのは誰にでも作れるものですから、「思い立ったが吉日」で、興味を持ったときにすぐ作ってみるのが一つのきっかけになると思います。作ってみたいと思うが「どんな勉強をすればよいのか」という質問を受けることがあります。土屋文明先生の「新短歌入門」という本が筑摩書房から出ていますので、私はこの本を読んでみることをお勧めしています。

 てっとり早く知った上で、このページに参加したいという人達のために、土屋先生の言葉をかいつまんで、ぼつぼつ紹介してみたいと思います。別のページで私達『新アララギ』の代表、宮地伸一氏の「歌言葉雑記」の抜粋も紹介しますが、それはある程度進んだ人達のための教科書です。

 短歌というのは「誰にでも作れる小詩形」ではありますが、まず、「好き」でないと作れないものです。短歌を作ってもお金にはなりませんし、世間的に華々しい評価を得られるようなものではありません。そういう栄達の道を求めている人には向かないものです。「自分をさらけ出す」ことが上達の秘訣ですから、「好き」である上に一種の覚悟がなくては作りつづけることは出来ないでしょう。

 「誰にでも作れる」ものですから、器用な人はすぐに短歌の形を呑み込んで、「短歌の形をした文字並べ」が出来るようになりますが、そういう器用な人はしばしば「短歌の本質」に裏切られて挫折してしまいがちです。愚直に作りつづけて習練を積むことが大切です。いろいろな事が何でも出来る器用な人は大抵上達はしないものです。

 さらに言えば、自分なりに何か「強い自信を持っている人」は、その持っている「自信」を生かして行く方がよくて、短歌の勉強には妨げとなることが多いのです。つつましい、へりくだった態度で世の中に生きて行こうとする人、何か自分の中に「弱さ」を感じている人が短歌向きと言えるでしょう。文学の形式としては「マイノリティ」(少数者)の道と言えるものです。「内省の文学」とも言えます。

 ただ、余り難しいことを考えずに、まず作ってみることがいいでしょう。いろいろの事は作っているうちに段々と分かってくるものです。私達の『新アララギ』で短歌を作るには、空想でなく、現実を歌にすることが肝心で、それだけを心に持って作ってみるようにして下さい。作りはじめたら「継続」が大切です。