短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 「うれしからまし」

吾が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし 光明皇后

 万葉集巻八(一六五八)の有名な一首。「吾が背子」は聖武天皇をさす。或る人が、この歌の第二句は「ふたり見まさば」と言うべきではないかと質問した。それに対して「ありつつも君が来まさばわれ恋ひめやも」(二三〇〇)の如き例からも「見まさば」という言い方も可能ではあるが、この場合「ふたり」の一人は作者自身であるから、自分にも敬語をつけることになってへんではないかと私は述べた。(聖武天皇には「手抱(たむだ)きて我はいまさむ天皇(すめら)わがうづの御手(みて)もち・・・・」(九七三)という自称敬語もあるが、無論それとは関係ない。)「わが背の君と二人で見るなら、どんなにこの降る雪がうれしいことでしょうか」という意で「ませ」「まし」が対応する形である。年少の頃、この歌を読んで敏感なる私は、これは夫の浮気に対する牽制球だろうと推察した。その見解は、はずれてはいまい。

「うれしからまし」の「まし」は動詞などの未然形につく助動詞で、文法書には、

 ませ・○・まし・まし・ましか・○

と活用を示している。即ち連用形、命令形を欠く特殊な活用である。事実に反することを仮想するというので反実仮想の助動詞と言われる。「くやしかもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを」(山上憶良、七九七)は「こうなると知っていたら、妻の生前に大和の国をすみずみまで見せたかったのに残念だ」という意になる。万葉集その他に、和歌専用の句法として「ませ・・・まし」の反実仮想の形が多く使われた。原則的には「ふたり見ませば」「かく知らませば」というような反実の仮定条件が前提となる。明治の子規の

足たゝば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを

なども「ませ」でなくても「足たゝば」という条件を切り出すところは「まし」の用法に適うのである。

 「まし」は、推量の助動詞「む」から派生したと言われる。今その用法の変遷を細かくたどる必要もないが、中世の以後は条件句なしに反実仮想の色合いも失せてただ「む」に近い「まし」が出て来る。今良寛歌集から拾うと、

煙だに天つみ空に消えはてて面影のみぞ形見ならまし
老が身のあはれを誰に語らまし杖を忘れて帰る夕暮れ

 などがそれだ。白秋の『桐の花』の

かきつばた男ならずばたをやかにひとり身投げて死なましものを
クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔

の前のは、条件句を出しているが、あとのはそれがない。近代以後の短歌に使われる「まし」は殆ど前提なしの「む」に近い使い方で意志や希望を示すことになる。なお見本として、

怒る時かならずひとつ鉢を割り九百九十九割りて死なまし 啄木『一握の砂』
夕べ食(を)すほうれん草は茎たてり淋しさを遠くつげてやらまし 文明『ふゆくさ』

の二首を掲げておく。

 明治の新体詩にはこの「まし」が好まれて多く使用されたようだ。薄田泣菫の詩集『白羊宮』の「望郷の歌」には「かなたへ、君といざかへらまし」が繰り返されている。ついでに言うと同じ作者の「ああ大和にあらましかば」の詩はとりわけ名品であるが

ああ、大和にあらましかば、
いま神無月、うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、

と、延々と続くのは「今、大和にいるならば」という仮定のもとに大和の国のもろもろの光景を思い浮かべて詠じているのだから「あらましかば」は変で「あらませば」と言うべきだと思っていた。しかし考えてみれば古くから「世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな」(拾遺集)などとあり、未然形と已然形の混交はよくあることなので、別に咎め立てすることではないのである。

 最後に赤彦の一首に触れたい。

数ならぬ我さへ共に行かましき一つの道に君を立たしむ

『柿蔭集』の初めのほうの「伝田青磁君に寄す」の一首である。この歌の事情をここで細かく述べるわけにも行かないが、信州松本の女子師範付属の小学校で修身の授業に国定教科書を使わず、?外の小説を教材にしたのが大問題になり、赤彦門人の伝田青磁は、その渦中に立たされた。今なら全く問題にならないことだ。その人を激励したのである。

 さて「行かましき」はそのまま分かるけれども「まし」の連体形に「ましき」はない。これは恐らく「行かましほしき」などの助動詞と混同したためではないかと考える。この点、従来誰も指摘していないと思うので、ついでに言及しておく。

         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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