短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

低 し  (その二)

 「明治の子規は、蕪村より強烈にいろいろと摂取したが、「低し」をその作品に取り入れることも学んだ一つである。

  稲の穂や南に凌雲閣低し
  大国の山皆低きかすみかな
  鶯や低い茶の木の中で鳴く
  低過ぎし牡丹の傘や春の雨
  下総の国の低さよ春の水

 今、数を惜しんで右の五句だけに限定した。句集を見れば枚挙にいとまがないほど「低し」が出て来る。右の五句中の「鶯や低い茶の木の中で鳴く」は、蕪村の「低き木に鶯鳴くや昼下がり」を意識して作ったことは明きらかだ。なお、子規庵での明治二十九年の句会では、この「低き木に」を上五に置いた句を出席者が競詠し、子規は「低き木に馬つなぎたる夏野かな」「低き木に鳶の下り居る春日哉」などの句をものにしている。「低し」という感覚の面白さに全く夢中になっていたようだ。

 子規の歌では、
  風吹けば芦の花散る難波潟夕汐満ちて鶴低く飛ぶ
  浅草の五重の塔に暮れそめて三日月低し駒形の上に
  春雨の牡丹におほふ傘を低み一つの花は隠れて見えず
などがあるが、簡明な俳句に比べると、どうも見劣りする。

 子規以降の作者の「低し」の用例は、もう挙げる必要もあるまい。我々は「低し」という形容詞が日本語の中で比較的新しい発生であることも意識せず、子規の執着なんぞも知らずに今は漫然と作中に取り入れているのである。

 なお、この「歌言葉雑記」の第一回の文章でこの「低し」に少々触れたが、その時左千夫の九十九里の歌「高山も低山もなき地の果は見る目の前に天し垂れたり」を引いて最初に「低山」を歌に持ち込んだのは左千夫だろうと言ったが、明治四十二年作の前に赤彦に「月夜照る湖の向うの低山に小夜雲走り雪降るらしも」などがあり、明治三十九年作である。簡単に誰が先だと決めるのは危険だ。長塚節の「菜の花をそびらに立てる低山は檪がしたに雪はだらなり」は、大正三年の鍼の如くの最終作。ここでは「低山」がすっかり定着している。茂吉がこの「低」を使って「低木」「低雲」「低空」「低山並」などと造語したことも、既に言及した。「遠き低処(ひくど)」という例もある。何も「低」に限らない。我々も造語にもっと心を砕くべきだ。(昭和60・3)

          筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


掲示板投稿作選歌後記

推敲とは自分の表わそうとする感銘に表現を少しでも近づけることです。私が案を示しますと、それをそっくり取り入れるのは沽券に関わる思うのか、類似の表現に置き換えることがあります。類似ではいけないのです。フローベールの一語説を待つまでもなく、そのことの最も適切な表現はただ一つなのです。ああも言えるがこうも言えるということは短歌にはないのです。最も適切な表現はただ一つです。それにたどりつこうとするのが推敲です。他の人の案だろうとそれが適切と思われたらひとまずそれを取り入れるのです。それが自分の言いたかったことであれば、もうそれは他の人のものではなく自分のものとしてよいのです。それが嫌ならそれよりさらにより適切な表現を見つけ出そうと努力すればよいのです。単に似た言い方に置き換えるだけでは意味がありません。


                      吉村 睦人(新アララギ選者)



バックナンバー