短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄

 感ずる、感じる

  はじめより憂鬱なる時代に生きたりしかば然(し)かも感ぜずといふ人のわれよりも若き

 土岐善麿の「新歌集作品2」にある有名な一首である。この歌の「感ぜず」の基本形は「感ず」で、もちろん「感」という漢語と、「す」というサ変の動詞と言われる言葉が複合したものだ。「感ず」は文語で、口語は「感ずる」「感じる」となる。岩波の広辞苑は第二版までは見出し語に文語の「感ず」を掲げていたが第三版以後は文語はやめて口語の「感ずる」と「感じる」を共に出し、後のは「感ずるに同じ」とした。つまり「感ずる」のほうを主体とするのである。これは「信ずる」「信じる」、「通ずる」「通じる」、「応ずる」「応じる」等もみな同じ扱い方である。ところが現在の現代語を主体とする辞典は、上一段活用の「感じる」式のほうを見出し語として「感ずる」は注記するにとどまるものも出ている私は、口頭語としては「感じる」でもいいが、文章語としては「感ずる」を守りたいと常に感ずるのだ。しかし岡井隆氏に『感じる歌人』という著書もあるように今では「感じる」が優勢であり、広辞苑なども次の改訂の時は、「感ずる」をひっ込めるかも知れない。

 しかしこの「感じる」式の言い方は、すでに江戸時代にも「報じる」「案じる」「通じる」などと、かなり使用されていたようだ。(村松明『近代の国語ー江戸から現代へー』)もっともこれは江戸の言葉であって上方語では、「─ずる」のサ変形式を守っていたという。

  ああ生まれた日にこえる狩勝、一茎のくさにさへいのちを感じる
                          前田 夕暮

 『水源地帯』所収の昭和五年作。これは初作の形で、歌集では下句「いふばかりない歓びを感じる」の由だが、どちらも「感じる」である。「いのちを感ずる」でもいいはずだが、自由律としては「感じる」のほうがふさわしいと作者は思ったのかもしれない。

  雲のかなた父がふる里ありと言へど子供(こども)は余り感ぜざるらし
                             土屋 文明

 『往還集』の一首。初めにあげ土岐善麿の「然かも感ぜず」と同様「感ぜ」に打ち消し助動詞がついている。しかし口語で「感じる」という上一段活用が支配的になれば、それが反映して「然かも感じず」「感じざるらし」というふうに表現する向きも、これからは出て来るに違いないのである。
新聞の見出しは、現在も文語風になる場合が多いが、注意してみると「細川構想応じる構え」で、「応ずる」ではない。「喚問に応じず」は「応ぜず」とするほうが落ちつくのにそうしない。そして文章では「応じざるを得ない」となる。新聞記事では「─ずる」の形は、どうも避けているようだ。すると、「応じず」の形に慣れれば、当然「感じず」も、可笑しいと、、、感ずることはなくなるのではあるまいか。

以上のことと関連して次の一首を引く。

  森進一の人気案じしその母の森進一に酷似せし声   小川 太郎

 「歌壇」五月号所載。「案ず」は、下に助動詞の「し」がつく時は「案ぜし」となるのが本則である。それは同じ作者が「酷似せし声」といって「酷似しし声」とせず、また別の歌で「わが恋せしか」として「わが恋ししか」とは書かないのと同一の理論なのだ。

 これは口語の「案じる」という上一段活用に引かれておのずと「案じし」となってしまったものと言うべく、この用例は実は少なくない。

  寒木のけやきの幹よ日があたり女体封じしごときうねりあり
                        高野 公彦

 「歌壇」一月号の「凹み」のなかより。味のある作品であるが、やはり「女体封じし」は「女体封ぜし」のほうが、よくはあるまいか。町のなかを歩いていると「私を信ずる者は死んでも生きる キリスト」という教会のポスターが目につく。そう言えば「信ぜよ、さらば救われん」であって「信じよ」ではない。しかし雑誌の選歌稿のなかには「聖戦と信じしいくさ」という言い方がなくならない。口語としても「信ずる」「信じる」が交錯し揺れているからである。しかし作歌のうえでは、やはり文語のサ変の形を守りたいと思う。すなわち「感ぜず」応ぜず」「案ぜし」「封ぜし」という形が、あくまで規範的な言い方なのである。

 以上のように述べたが、私は文法至上主義者ではなく、語法の番人でもない。何が正統的な規範的な言い方であり、何がそれから崩れた形になるか、これは簡単に判定できない場合も多い。しかし伝統的な言い方で、それが規範的な形であると目されるものは、なるべく守れるものは守って行きたい。そういう意味では律儀な保守主義者である。


                        (平成3・11)


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


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