短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 なゐ、なだれ、なだり

 この1月の関西大地震を詠んだ作品に注意すると、地震を意味する「なゐ」という古語が、だいぶ使用されている。今、見本的に示すと、

海中(わたなか)の地震(なゐ)に揺れたる淡路島日の本(もと)の神いでて鎮めよ
        読売歌壇 三月四日 松下 正樹
地震(なゐ)つづくにいまだ東京はしづかなり非常用品買ひにわが行く         同   島 賢三

の如くで、ありふれた歌言葉とも言えよう。近代歌人の使用例としては、中村憲吉の、

すでに聞けば富士山帯(ふじさんたい)に地震(なゐ)おこり土裂けて湯気(ゆげ)を噴(ふ)きてありちふ
                   『林泉集』

という大正十二年の「大震災」の一首を以て代表させる。この時の憲吉作品には「みんなみのグァーム島より呼ばしめし海底線も伊豆に断(き)れをり」「国こぞり電話を呼べど亡(ほろ)びたりや大東京に声なくなりぬ」などもあって感銘が深い。この関東の大震災より七十余年たって、一体、地震学はどれほど進歩したのものか。近着のコスモス四月号に

たよりなき地震学などわが知りて地震ふる国に年長く生く         田谷 鋭

を見出して、同感した。

 さて、「なゐ」につき、岩波古語辞典には、

ナは土地、ヰは居。本来地盤の意。「なゐ震(ふ)り」「なゐ揺(よ)り」で地震の意であったが、後にナヰだけで地震。

として「なゐのやうに土動く」(宇津保物語)等の例を挙げて説明する。つまり「なゐ」そのものは、初めは地震ではなかったが、後にその意味に変わるのである。(これは、「さざれ石」「はだれ雪」が下の名詞と離れて「さざれ」「はだれ」だけで小石、班雪を意味するようになる関係と似ている)

 なお、日本書記を見ると、地震の記事がかなり目につく。特に天武紀などには多いが、「筑紫国大きに地震(なゐ)動(ふ)る」と古訓に訓まれる時の「地(なゐ)」は、まだ土地の意味にとどまるようである。万葉集には地震の歌は一首もないが、記紀歌謡には、唯一次の歌がある。

臣(おみ)の子の八節(やふ)の柴垣 下動(したとよ)み地(なゐ)が震(よ)り来(こ)ば破(や)れむ柴垣

 武烈紀にあり、即位前の天皇が鮪臣(しびのおみ)と影娞という女性を取りっこする際の、やり取りの歌で、そちらの立派な柴垣も地震が来たらひとたまりもないだろうと寓意して言うのだが、地震は悪口の材料に使われたにすぎない。この地震列島に住みながら古今集以下の王朝の歌人もこの不風流な自然現象は作歌の対象にはしなかった。勅撰集には一首もないようだ。かの方丈記の著者の鴨長明も「恐れの中に恐るべかりけるは、ただなゐなりけり」などと記したが、歌には詠じなかったと見える。江戸時代の俳諧には多少あろうが、今私が思いつくのは、

おろし置(おき)笈(おひ)に地震(なゐ)ふるなつ野かな

という蕪村の一句だけだ。(岩波文庫本による)

 ついでに「なだる」「なだれ」について一言したい。この動詞も名詞も、辞書を見ると太平記に出て来る程度で、それ以上の古い用例は示されてないが、「なゐ」の語源を考えれば「なだれ」の「な」も土地であってそれが垂れる、つまり崩れる形が「なだれ」であろう。そして「なだれ雪」の雪が落ちても「雪崩(なだれ)」という意味になるのは「班雪(はだれ)」同様の言語現象であろうと思うが、この考えは当れりや否や。引用歌は省略しよう。とにかく大言海の「長垂(ながた)る」などという語源説には従えない。

 それからついでに、「なだり」について思いつきを述べたい。

古寺の門前せまるなだり坂荒畠のはなに海少し見ゆ
          岡 麓   『小笹生』
鳥海山の傾斜(なだり)緩やかに曳きたればそのはてにある海を考ふ     川田 順 『鷲』

 この「なだり」は古語辞典類には見えず広辞苑も第三版に至ってこれを掲げ「(ナダレの転)斜めに傾くこと。またそのような地形」と説明した。これは近代以後の歌人の使用例が多く目につくようになって、やっと取り上げたのであろう。「垂る」という自動詞が古く四段活用だったことは、垂木(たるき)垂氷(たるひ)垂水(たるみ)滴り(下垂り)のような語によっても明瞭である。この「垂る」が後に下二段活用になるが、近代の歌人はどうも「汗垂れて」というよりも「汗垂りて」という四段の古形を好んだ。赤彦などは「蓑虫は己(おの)を守ると枝に垂り垂りも垂りけり地につくまでに」『太虚集』とやる始末。そして、

山なだり打ち伏し靡く楉(しもと)葉の目に痛きまで吹く嵐かな     大正十三年『太虚集』

がある。「山なだり」は動詞のようにも見えるがやはり「山のなだり」の意であろう。

 なお、今度、窪田空穂の次の作に気づいた。

筑波やま男峰(をみね)のなだり三千尺(みちさか)に直(ただ)にしなだる眼に障(さや)るなく
          大正十年 『鏡葉』
筑波やま男峰のなだり目に追ひてなだれ極まる裾を見にけり

 同時の長歌に「はけしもよ男峰の傾斜(なだり)」ともあり、赤彦の使用に先行する。これはナダレの転というよりは、近代歌人の古代志向によっておのずから誕生した歌言葉ではないかと推測するのである。


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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