短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 星のしたび

 この春の思わぬ彗星の出現によって、私などもそれを作歌の世界に持ち込もうと試みたが、その過程で「星の下び」(つまり「星の下あたり」という意)の「したび」という用語は、辞書にあるかどうか念のため調べてみると、どれにも出ていない。歌言葉としてわりに使われる言葉が一般的の辞書に載っていない例は、かなりあるのだが、「したび」もそうだとは気がつかなかった。この「したび」を使った歌ととしてすぐ思い浮かぶのは、古泉千樫の『川のほとり』の、

闇ふかく鷺とびわたりたまゆらに影は見えけり星の下びに
かすかなる星の下びをつぎつぎに飛び行く鷺の見えつつもとな

の二首で、例の「騒然として寂しきものを」の「鷺」の一連のなかの作品である。そうして考えてみると、この千樫作よりも早く赤彦の『馬鈴薯の花』の初めのほう(明治四十三年作)に、

さ夜ふかき霧の奥べに照らふもの月の下びに水かあるらし

があり、これなどは使用例の早いほうのものかと思う。さらに赤彦には『切火』に、

堂庭に踊る島子をかぞふれば七人だまり月の下びに

など「月の下びに」があったのを今思い出した。

 ところで、万葉集に「琴とれば嘆き先立つけだしくも琴のしたびに妻やこもれる」(一一二九)という一首がある。子規が取り上げてちょっとほめた歌であるが、この「したび」は下樋で琴の胴のうつろな部分を意味すると言うが、そういう用語などから「下のあたり」の「したび」も導き出されたのかもしれない。

 ここで少し道草をくうが、万葉集には「山び」「岡び」「浜び」「川び」というような言葉があり、「霞ゐる富士の山びにわが来なばいづち向きてか妹が嘆かむ」(三三五七)の如くに使われる。この「び」という接尾語について岩波古語辞典を見ると「〈ミ(廻)の転〉めぐり。めぐっている所」と説き、奈良時代にはべ(辺)という類義語があるが、べ(辺)ははずれの所、近辺の意味であり、ビ(廻)は周回の意であって別語と説明する。「山べ」と「山び」、「浜べ」と「浜び」では意味が違うというのである。すると「大伴の三津の浜べをうちさらし寄り来る波の行方知らずも」(一一五一)と「大伴の三津の浜びに直泊(ただは)てにみ舟は泊てむ・・・」(八九四)の「三津の浜べ」「三津の浜び」も、当然意味が違わなければならない。万葉人がそんな細かい使い分けをやったものか、疑問だ。

 さて「したび」に戻るが、子の語は辞書に集録されてないことは初めに指摘した。ただ窪田空穂・尾山篤二郎共著の『例解短歌用語辞典』には「したび(下辺)下のあたり、すなわち下部のこと」として、

雨をまじへ山より吹きく夜あらしの声の下びに虫の音きこゆ(佐々木信綱)
くれなゐの高き夕雲はうごかぬに下びの雲のゆきしるくあり(吉植庄亮)

の二首を例歌に挙げる。前の「吹きく夜あらし」の接続に不安があるが、そのままにしておく。なお茂吉には、

月よみの下びににほふ月下香(げっかこう)長崎にわがありし日おもほゆ  『寒雲』
坂の上にあかがね色の雲のむれ動きそむれば』下びは明(あか)し      同

のほか、まだ幾つかの用例がある。要するに近代に発生して古語志向の風潮のなかに使われた用語のひとつということになろう。

 現代短歌の用例もいくらかあるだろうが、私が気づいたのは、とここまで書いて記しておいた紙片が見つからない。保留する。やむを得ぬ余白ができたので最近みつけた「思ほへば」の二例を記しておく。

思ほへば三十余年の友情を一瞬にして死は奪ひ去る         樋口 美世
おもほへば喧嘩ばかりしてきたる妻にも病めばしたがはざらむ    吉岡 生夫

 歌集『蘇生』と「短歌」の平成八年度版短歌年鑑より転記した。この「思ほへば」の」そもそも開祖はどうも明治の土井晩翠である。その詩集『天地有情』の「星落秋風五丈原」のなかに「治乱興亡おもほへば」「蝸牛の譬(たとへ)おもほへば」と二箇所に出て来る。これがコンピューターウィルスをまき散らすそもそもの源ではなかったか。

 「思へば」の意味で「思ほへば」を使っているのだ。その被害は現在にまでも及んでいる。なお「思ほえば」と書いても、語法的には誤であることは、私がしばしば指摘した通りである。

秋水に石榴一か(せきりゅういっか) おもほえば歌ひて喪ふ言(こと)かず知らず

 塚本邦雄氏のこの一首を『献身』に発見してやんぬる哉と私は長大息した。もう一つの言語現象として認めなければいけないものなのかも知れない。

         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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