短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 夜(よ)と夜(よる)

むかし思ふ草のいほりのよるの雨に涙なそへそ山ほととぎす

 新古今集の夏の歌にある藤原俊成の一首。戦前の作歌を始めた頃に茂吉の『新選秀歌百首』を読み、この歌に接して感銘を覚えた。今でもひそかなる愛誦歌である。本歌とされる千載集の「五月雨に思ひこそやれいにしへの草の庵の夜はのさびしさ」などよりは、心の深さにおいて断然すぐれている。

 さてこの歌の成立事情等には触れずに、第三句の「よるの雨に」の部分だけに注意してみたい。或る時私は、この第三句は「夜(よ)の雨に」であったかも知れないと思って新古今集の多くの刊本や俊成の家集『長秋詠藻』まで探ってみたが、いずれも「よるの雨」あるいは「夜(よる)の雨」とあり、「夜(よ)の雨」とは読ませていなかった。一首の声調のうえからは「よるの雨に」と字余りになるべきところで「夜(よ)の雨に」では軽くひびく。そして後世に本居宣長が発見し考察した和歌の字余りの法則にも従っている。即ちヨルノ()メニと、句の途中に母音を含ませているのである。

 ヨとヨルの違いは、学者が調べていると思うが、ヨルについて岩波の古語辞典を引くと「ヨ(夜)に接尾語ルの添った形。奈良時代には複合語に使わず、副詞的に独立した形で用いた」と出ている。(副詞的というのは、万葉の「夜(よる)光る玉といふとも」などの言い方をさすのであろう。しかし「ぬばたまの夜(よる)はすがらにねのみし泣かゆ」などの「夜は」は副詞的とは言えまい。)ヨルは今でも複合語になりにくい。「夜歩き」は、ヨルアルキよりはヨアルキであろう。夜更け、夜通し、夜店、夜風、一夜(ひとよ)等は、みなヨである。口語として独立して使う時は、勿論ヨルが多いが、それでも「夜が明ける」などという場合は、ヨルではなくヨであろう。

ぬばたまの夜(よ)の更(ふ)けゆけば久木(ひさき)生ふる清き川原に千鳥しば鳴く     山部 赤人
夜(よる)ふけて慈悲心鳥の啼く聞けばまどかに足らふ心ともなし     斎藤茂吉『ともしび』
夜(よる)ふけて事なきからに爪きれる吾を驚かし梟(ふくろふ)の啼く     土屋文明『往還集』

 万葉集の赤人作(6九二五)と、茂吉、文明の作品を並べてみた。万葉では「夜(よ)の更けゆけば」であって「夜(よる)」ではない。茂吉、文明は「夜(よる)ふけて」である。実はこの際、私は角川の新編国歌大観の十巻の索引を全部調べてみた。この国歌大観は、江戸時代の香川景樹や橘曙覧の家集まで載せている。(残念ながら近世の歌人の作品は網羅し切れないが、これは止むを得ない。)

 それによると、

よぞふけにける
よのふけゆけば
よはふけにけり
よはふけぬらし

の類のみで、下に「ふけ」という動詞が来る場合は、上代から近世まで全部「よ」であって「よる」ではなかった。つまり、茂吉、文明等の「夜(よる)更けて」という言い方は、近代になって発生したもので、古典の呪縛から逃れた言い方とも、あるいはまた古典の表現に対する認識の甘さから出て来た言葉とも言えば言えようか。我々は現在でも慣用的には「夜(よる)が更けた」よりも、「ああ、夜(よ)が更けた」などと言うほうが多いのではあるまいか。茂吉の歌には、

黒溝台の夜(よる)ふけにして高梁酒(かおりやんちゆ)の透明のみて酔(ゑ)ひはきはまる

の如く「夜(よる)ふけ」の名詞さえある。(もう一首「夜更(よるふ)けの雨」『白桃』の例あり。)これは前代未聞の用語であろう。もっとも「やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼(ひる)ふけにして紺(こん)の最上川」(『白き山』)の如くに「昼ふけ」というこれも例のない用語があって、「夜更」と好一対をなしている。ついでに言えば、茂吉は、

さ夜ふけて慈悲心鳥のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに    『ともしび』

の「さ夜ふけて」という古典的な言い方も好んだ。この一首においては「よるふけて」よりも「さ夜ふけて」のほうが、音のひびきによさを感じたためであろう。本居宣長も歌語としては「夜ふけて」などと言わず「さ夜ふけて」を使うのだと教えているが、さすがに現代の歌人には、この「さ夜ふけて」は使われなくなった。

うごきゐし夜(よる)のしら雲の無くなりて高野(たかの)の山に月てりわたる     茂吉『ともしび』

 この歌は、茂吉の得意作であった。「夜(よる)のしら雲の」は、破調にしないで「夜(よ)のしら雲の」でもいいはずだが、ここはゆるやかな声調の効果をねらって「夜(よる)の」としたものと見える。その第二句には母音を含まないから、宣長に言わせれば、調べがいやしいと評するだろうが、今の時代はそんなことは勿論考慮しなくていい。

        筆者:宮地伸一 新アララギ編集委員、選者



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