短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 鶯(うぐいす)は囀(さえず)るか

 先年、ある歌会で「鶯のさへづる声は遠くなりたり」というような作品に出会った。私は、芭蕉の「長き日をさへづり足らぬ雲雀(ひばり)かな」や、赤彦の「高槻の(たかつき)のこずゑにありて頬白のさへづる春となりにけるかも」など引いて、サエズルというのは小鳥が続けていそがしく鳴き立てることで、小鳥と言ってもウグイスのようなノンビリした鳴き声にサエズルという動詞を使うのは、適切ではないのではないかと批評した。

 ところが、あとで念のため広辞苑を引いてみると鶯の説明に「さえずりの声が殊によい」とあるではないか。それから俳句では「鶯が囀る」という言い方をするかと思って、安藤英方編『近世俳句大索引』によって調べると、勿論、索引には限界があるがその言い方は出て来ない。これをある友人に話したところ、その人曰く、「鶯」「囀る」どちらも季語だから重なるのを避けて「鶯が囀る」とは言わないのだろうと。なるほどそうかも知れない。

 しかし、俳句の歳時記類を見ると、作品のなかには出て来なくても、解説としては鶯はどうも囀るのである。例えば山本健吉の『基本季語五○○選』(講談社学術文庫)には、

鶯の初音は二月はじめごろ、清亮(せいりょう)にして円滑な美声で囀る。囀りの整ってくるのは三月ごろで、(略)ホーホケキョと囀るが、時としてケキョケキョケキョと続けざまに鳴くのを鶯の谷渡りと言う。

と説明する。「囀る」と「鳴く」は、全くの同義語に扱っている。また同書の「囀(さえずり)」という季語の説明に「鶯、頬白、雲雀、河原鶸(かわらひわ)などは春になると囀り出すが、時鳥、郭公、黒鶫(くろつぐみ)、大瑠璃(おおるり)などは夏にはいってからである」とあり、これでは時鳥(ほととぎす)や郭公も囀ることになってしまう。山本健吉は別のところでも水原秋桜子の「鶯や前山いよよ雨の中」という句について「春になって鶯の囀りが最高頂に達した大自然の中である」などと書いていた。(『カラー図説日本大歳時記』)

 和歌に「囀る」が初めて登場したのは、

もも千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれどもわれぞふりゆく   古今集 春上

が最初のようである。この動詞はサヒヅルが原型だと言う。万葉集巻二十の家持作に、鶯の鳴くのを聞いて作った一首(四四四五)があり、その詞書のほうであるが、「哢」を普通はナクと訓ませるのを、岩波古典体系では「鶯のさひづる聞きて」と訓読している。その字の名義抄の訓にサヘツルがあると言う。そうすると万葉時代にも鶯は囀ることになるが、万葉集巻十七のやはり家持の歌(四○三○)のところでは、同じく詞書に出て来るその文字をナクと訓ませていて統一がとれない。もう煩瑣なことは言いたくないが、「さひづるや韓臼(からうす)に搗(つ)き」(万葉集三八八六)のサヒヅルヤという枕詞は、韓の人の言葉が鳥の囀の如くやかましくひびくことから成立すると考えていい。囀るは、ただ鳴く意でなく、いそがしく鳴き立てる意を本来持つものだ。サヒヅル、サヤグ、サワグとサ音が語頭に来る動詞は、どうもつながりがあるようである。だが、『新国歌大観』を見ると古典に次の如き歌が見つかる。

鶯のさへづるけさの初音よりあらたまりける春と知らるる  新拾遺集 後嵯峨院
けさの朝け春しりそめて鶯のさへづる声の色ものどけき  新明題和歌集 霊元院

 数は非常に少ないが、こういう用例もある。「囀る」を、ただ「鳴く」と同じ意味合いに扱っているのだ。こういう例があれば、明治の次の如き作品も非難できないであろうか。

鶯の囀る山に百とせのさちを松の木植ゑにけらしも

 左千夫全集の歌集の明治三十五年のところにある。しかし「鶯の囀る」は、やはり変則的な言い方とみるべきであろう。

 今、「春鶯囀(しゅんおうてん)」という雅楽の曲があったのを思い出した。これは唐より来たもので平安時代にはしばしば行われたと言う。枕草子に「弾(ひ)くものは」として並べたなかに「鶯の囀りといふ調べ」(二一七段)とあるのは、「春鶯囀」を訓読したもののようだ。「春鶯囀」という名の山梨県の酒もあるのをついでに書いておこう。

 最後に次の一首をあげておく。昨年の富山の国民文化祭、短歌作品の一首である。

さえずりの間(ま)に鶯の声もして砂防ダムある峡に春満つ

 選歌用の作者を記入しない作品集であったもので、ひそかに私は注意した。「さえずりの間に鶯の声もして」であるから、即ち「さえずり」と「鶯の声」と区別しているのだ。これは我が意を得た一首であった。古典類に多少の用例はあっても鶯は囀るべきでない。なお言えば、郭公やほととぎすの類は、勿論囀らない。

        筆者:宮地伸一 新アララギ編集委員、選者



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