短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


○吾が胸に静かに呼吸する如く居たる螇蚸よ眼閉づれば    稲垣鐡三郎

 いい歌だ。この細く静かに澄んだ境地は、今までこの作者によって幾度か取り上げられたと思うが、それらの歌とともに従来の病者の歌に見られなかった深い味わいを示していると思う。

 病人の気息の弱まりが直ちに作品自体には、一つの強みとなって表現されていると言えよう。長塚節の晩年の作品の透明清澄な空気にあい通じるものがあるような気もするが、やはり節に較べれば近代的に洗練された境地である事を感じる。単に虫類に対する愛情をのべたとみるべきではない。

○すずかけの夕影長き時に来り日當るところの草に坐りぬ    古關和子

 上句の写生は直ちに抒情的な気分を発散して。豊かないい声調をも持っているが、下句が平凡に流れたという感じだ。それだけ作者としては、どこか心熱に不足するものがあって、その抒情的な気分でもって一首統一する事ができなかったのであろうと思う。

○わが賣りし琴の飾られある店の明るき前にしばし佇ちたり    八木美根子

 直線的な表出の方法、特に「明るき前にしばし佇ちたり」はさらりとしていすぎて突っ込み方が足りないように思う。もう少し作者の感情が曲折して表現されてもいいのではないか。それにしても琴を手放した階級の人の詠んだ軽いペーソスというようなものが感ぜられて僕はそこに心を惹かれる。

             昭和二十五年三月号

 (漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



バックナンバー