短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


○明治天皇御制などいつまで説いてゐるのだ校長よああ青ざめて一人が倒れた  杉 敦夫

【宮地伸一】アララギ選歌欄の作品は表現面ではこういう所まで来ているのかと興味深く感じた。ただ批評するとなれば、己れのポーズの動きをちゃんと計算したやり方にいささか反感を持たないでもない。むしろ「校長よ」という呼びかけは省略した方がよい所かも知れない。どうせこの「教師」も歌の上だけで力む人であろうから。

【榎本順行】「歌の上だけで力む」かどうかは別として、「校長よ」と不要と思われる語を入れなくては一首となし得ない所に作者の態度がうかがわれ、宮地評の如き欠陥を露呈していることはわれわれ全般に通じる問題として一考を要する。選歌欄の多種多様な歌に共通している問題として一首の緊張ということをもう少し真剣に考えねばいけないのではないだろうか。このことは決して歌を束縛し、狭くするということにはならない。

○親米あり親ソがありて時間ごとに先生等の言ふことが皆違ふとふ  石井 登喜夫

【榎本順行】現今教員の指導とそれをうける児童の困惑ぶりがよく出ている。しかし「親米」といい「親ソ」という語が歌に作られる場合、やはり熟さない憾みを持っている。殊に「親米あり」「親ソがあり」という風になると、言っていることはわかるし、それなりの気持も出ているのだが、どうも私にはこれでよいというわけにはゆかない。むしろ一、二句は省略したらとも思われ、このことは突込む必要があるということも考えてよいことだ。

【宮地伸一】もっと「突込む必要がある」という前評には賛成だが、この一首は、批評のない感じ方ではなく、こういう内容を歌う事自体に、既にある批判が出ているのであろう。こういう程度でお茶を濁すやり方は、決してこの作者一人だけのものではない。親米、親ソというような語感の問題は、もう無視してよいことではあるまいか。

                昭和二十七年七月号

 (漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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