短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


○外套のふれ合ふのみの歩みなりき雪原に夕べの光残るとき         関 慶

【榎本順行】上句は巧まずしてなったうま味が出ていて下句との照応もうまい。今月の選歌蘭で心に残る歌だ。「歩みなりき」と二句切れにしたことも私は賛成したい。ただそうすれば「光残るとき」と限定した感じと「歩みなりき」との関連が少し歌柄を小さくしてしまったようにも思われる。

【宮地伸一】僕もこの一首には心惹かれた。「雪原に夕べの光残るとき」には、文学的誇張、誌的作為というものがありそうな所であり、あるいはあるかもしれないが、ごく自然に素直に受取れるし、それが上句と照応して、その切ない相聞の情を適切にうまく生かしていることは榎本評の如くであろう。何か通俗小説的、映画的な所もないではないが「外套のふれ合ふのみの歩み」には単にそういっただけではすまされぬ、一種切実な響きがこもっているとと思う。

○豊葦原淫買の国か貿易外収入数億と言ふをし聞けば           長谷川 光雄

【宮地伸一】「豊葦原淫買の国」という句だけを取出せば、これは最近の傑作であり、秀句であるという外はない。こういう作品を埋もらしてはいけないという義憤が、この一首を選ばせたといってもよい。ただ三句以下の説明が常識的すぎて、一二句の秀句を支える力がないことは、惜しいといえば惜しい。しかしそんなことは技術批評の末のねごとであるかもしれない。ああ豊葦原淫買の国。

【榎本順行】前評の如く説明的常識に過ぎるということに私も賛成する。「言ふをし聞けば」は特にその感を深くし私はむしろ不要とさえ思われる。このことは「技術批評の末のねごと」といった前評とも関連して、作者の態度の呑気さがどうも気になる。この一首についていえば私としては三、四句を別に考えて、結句は「貿易外収入数億」で止める方が一首の緊張さが生ずるのではないかと思う。

                昭和二十七年七月号

 (漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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