短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


○逢ふたびに抱く力の失せし君涙うかべて吾が手を咬みぬ  武内 弘子

【榎本順行】危うく俗調に陥るところをとも角一首としてまとめている点で眼についた。「涙うかべて」とまで言わない方がよいかとも思われるが、「吾が手を咬みぬ」はそれを補っている。欲を言えば甘いということになろうが、作者の気持ちが割合によく出ていると思う。

【宮地伸一】僕としては上句の内容だけで一首をまとめてもらいたかったと思う。「涙うかべて」は、無論いいすぎだし、「吾が手を咬みぬ」はおもしろいが、いくらかサディズムめいて興味の末に走っているというべきだろう。あるいはこの程度は、自然の事であるかもしれないが、こういう風に歌い上げる心理そのものに、僕は自然でないものを感じる。相手に甘えているといわんよりは、むしろ自分に甘えすぎているのである。

【榎本再言】私は宮地評程「手を咬みぬ」を重くみずに比較的軽く感じているので、「サディズムめいた興味の末」という問題も確かに言いえることだが、もう少し同情してもよいのではなかろうか。

【宮地再言】同情するほど僕は人間が甘くないつもりだ。

○ゴミ箱をあさつても生きて行けるのか考えたつて人生はわからない  加藤 和男

【榎本順行】投げやりなように見えるが、それなりに何か感じがでている。歌としてこういうのもあってもよいのだとも思う。どこをどうと言った批評はこの一首にはあまり役立たない、これなりとして味わうべきものなのだろう。ただ作者として気をつけねばならないことは「考えたつて歌はわからない」ということにもなりかねない安易さにはしる危険をふくんでいるようにも思われる点である。

【宮地伸一】前評の「どこをどう」という事になるが、「考えたつて人生はわからない」という解釈は、この場合余計で、上句をもっと発展させ、写実的な表現で一首を統一した方がよかったかもしれない。このままでもある種の感銘はあるのだが、これだけではやはり結局「投げやり」であり、見せつけのニヒリズムだと思う。

                昭和二十七年七月号

 (漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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