短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」

 九月号作品評   其の一   宮地 伸一 (三)

フロントガラス照らす光のうつろひて既に先々は動く夕の靄                   荒井 孝

 車社会となったために得られた一つの新しい自然界の把握である。結句の「夕の靄」は「夕靄」と熟語にしたほうが落ちつくようである。

深酒の後の己れをただに悔い山の湯に居て鳴く河鹿きく                    狩野登美次

 作者の気持ちは分るが「深酒」とは少々俗ではあるまいか。「山の湯に居て鳴く河鹿きく」も平板に流れすぎるうらみがある。

ラーメン屋のせはしき頃に老いて読むと買ひし定本西鶴全集                  大野 一郎

 「老いて読むと買ひし定本西鶴全集」とわざわざ言うのは、今も積んだまま読まないことを意味するか。それならそうはっきり言うべきである。

石あげて兄を納むる傍(かたはら)に半ば名の消えし妻の骨瓶                   熊沢 正一

 埋骨式の時の様子と知られる。「半ば名の消えし妻の骨瓶」は、何といっても写実短歌の強みを発揮した表現である。この妻は、兄の妻なのであろう。

                  (続く)

(昭和五十八年十一月号より)

(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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