短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 しろかみ

 上田三四二氏は、今年の一月八日、改元の日に亡くなった。そのことによっても、上田氏のことは長く私どもの記憶に残ることと思う。さて先年、上田氏と話した時、茂吉の第十歌集の「白桃」をシラモモと言ったので、それはシロモモと読むはずだと注意したことがある。

  ただひとつ惜(を)しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は
  食ひをはりけり

という一首に基づく題名だからである。

 白をシラというのはシロの母音交替形だと言う。白玉・白雲・白雪白露・白波・白梅・白帆・白浜の如き複合語は、みなシラと読む。しかし複合語でも、白馬・白酒・白妙・白装束・白無垢・白身などはシラでなくシロだ。白タクや白バイは無論シロである。古語にはシラが多いかと言えば、必ずしもそうでもないので、とにかく慣用によってシラ・シロを読み分けているにすぎない。それからシラ・シロどちらでも言う語もある。白旗・白塗・白壁等。しらじらと、しろじろと、と両方に使われる副詞もある。

 さて、今月は「白髪」という語を特に取り上げたい。万葉集巻三の四八一の長歌に「わが黒髪のま白髪にならむきはみ」という詩句がある。新潮国語辞典(新装改訂・昭57)は、「しらかみ」という語の見出しのあとにこの歌を引用する。しかしこの万葉の「ま白髪」は、普通マシラガとよまれている。「わが黒髪のマシラカミにならむきはみ」では、調子が成さないではないか。万葉集では、「白髪」は、三音によむべきところは、シラガであるが、次の四音は四音によまなければならない。番号を略す。

  黒髪に白髪まじり老ゆるまでかかる恋には未だ会はなくに
  黒髪の白髪までと結びてし心ひとつを今解かめやも
  死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひざらめやも
  白髪し子らも生ひなばかくの如若けむ子らにのらえかねめや

 原文もみな白髪という文字である。これをシロカミとよむのは橘諸兄の「降る雪の之路髪(シロカミ)までに大君につかへまつればと尊くもあるか」(三九二二)のシロカミという明瞭な仮名書きによる。つまり万葉時代は、シラカミでなくシロカミであったと知られる。

  亡き人をこひつつ荒れし園をゆき白髪(しろかみ)きよき君に
  したがふ
  此の古き路地の思ひに行きかへる月にひと度(たび)しろ髪の
  ために
  黒髪の少しまじりて白髪のなびくが上に永久(とは)のしづまり

 土屋文明歌集「山谷集」「続々青南集」「青南後集」より。三首目は、ルビがないが、当然シロカミとよむべきだ。万葉集の言い方に従っているのである。歌会でもシラカミとあると、その都度注意されたものだ。岩波文庫本文明歌集の「老いてなほ気どりて来るは我のみか白髪頭(しらかみあたま)にデニムのいで立ち」のルビは誤りではあるまいか。原歌集の「青南後集」にはルビはない。シラカミは後の勅選集等には出て来る。が、シロカミの方を尊重すべきだ。

                          (平成1・5)




         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


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