短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 「し」と「る」「たる」(1)

 最近福原滉子さんの歌集鍵『縁覚』を読んだので、巻頭の「山荘の秋」より、その作品をまず材料として取り上げることとする。

  むべの蔓払へば明るくなりし窓ひそかに遊ぶ鳥かげの見ゆ
  草取りてあらはになりしひとむらの萩に夕べの光射し来ぬ
  野葡萄の黒ずみし実にしづくして冷たき雨は二日つづきぬ
  雨あとの月の光に紫蘇の実が匂ふと言ひし母思ひをり

 上の四首は、それぞれ回想の助動詞「き」の連体形「し」を用いて「明るくなりし」「あらはになりし」「黒ずみし」「匂ふと言ひし」と表現している。ところが過去を回想しているのは、四首目の「匂ふと言ひし母思ひをり」の歌だけで、あとの三首は、どれも現在の様子を詠んでいる、だから「明るくなれる」あらはになれる」「黒づめる」と完了、存続の助動詞「り」の連体形「る」を使うこともできるし、「明るくなりたる」などと同類の助動詞「たり」を使うことも可能である。

 ところが上の三首のような場合は、回想の「し」を使うのは誤りで、完了、存続の「る」「たる」を使うべきだと強力に主張する人達がいる。現実の光景があるから「明るくなれる」「明るくなりたる」と言うべきで、回想形の「明るくなりし」は語法的に誤りだと説くのは、一応理にかなっている。次の二首も「山荘の秋」のなかにある。

  野分すぎて光の澄める柞はら落葉の中にほととぎす咲く
  葛の花咲きあふれたる下にして流れにくだる道細く見ゆ

 前には「黒ずみし実」と言っていてのにここでは「澄みし」と言わずに「澄める」とし、また「咲きあふれし」としないで「咲きあふれたる」と表現する。それは声調上の配慮もあるが、その時の気分に従ってどちらかを自由に選択しているとも言えるのである。

 現代の作者には「し」「る」「たる」の区別意識は、あまりないのだ。しかし私の結論を言えば、特に声調上の難がないならば、語法になるべく従うほうがいい。過去ではなく現在であれば「明るくなりし」ではなく「明るくなれる」というほうがいいと思う。そして純然たる過去の回想の時は「匂ふと言へる」ではなく「言ひし」のほうが落ちつく。

 そうは言っても、私も昔は現在に「し」を平気で使っていた。戦時中、満州で「夜半過ぎてむかひの寒き国原よりゆがみし月の光さしいづ」というのを作った時、「ゆがみし」でいいのかなとちらっと疑問に思ったのを覚えている。「ゆがめる」とするほうがよかったのである。

 しかし特に「る」や「たる」を使うべきところに「し」を使う言語感覚は、現在の歌人や俳人の間に氾濫していて、今さらかれこれ言っても始まらない。今回、福原さんの作品を例に出したのも、非難するつもりではない。
                            (平成2・6)



         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


バックナンバー