短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 「話しし、話せし」

 現実の事件の重い時に今月も微細な現象を取り上げる。こんなこと気にしなくてもと思いつつ、とにかく書いてみる次第だ。

 「歌壇」三月号の「アンソロジー'94<私の一首>」を読みつつ次の四首に目を止めた。

泥濘に落としし硬貨の泥を拭き君に逢わんとダイヤルまわす       上川原紀人
ケースばかりになりて戻りこぬ本いくつ「新風十人」貸ししその人も亡し 大坂  泰
路に行き合いわずか話せしのみなるにその言葉がぬくもりとなりて長びく 荻野須美子
見残せしこの世の光を(かげ)を遮ると夫のまぶたを鎖してあげる    伊藤美津世

 それぞれの歌の「落としし」「貸しし」「話せし」「見残せし」という言い方に注意したのだ。もっとも先の二首は、あとの二首と対比するためにあえて取り上げたのである。「落とす」「貸す」「話す」「見残す」という動詞は、サ行の四段活用。以下あまりに初歩的な説明になるが、回想の助動詞「き」が下に来る時は、その連用形を使って、

落としき 貸しき 話しき 見残しき

となり、名詞などに接続させる場合には「き」の連体形「し」を使って、

落としし 貸しし 話しし 見残しし

となるのが本則である。だから先にあげた四首の「落としし硬貨」「貸ししその人」は、本則に合うが、「話せしのみ」「見残せしこの世の光」は、それからはずれることになる。つまり正確な言い方ではない。しかし、ここでたまたま二例をあげたが、「話しし」というべきを「話せし」とする如き例は、月々の歌誌にたやすく見つけることができる。「話しし」型と「話せし」型とが、入り乱れているとも言える。これは今に始まったことではない。石川啄木の歌集『一握の砂』を見ると、(三行書きを改める。ルビも適当に省略。)

頬(ほ)につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず

が、巻頭の「東海の小島の磯の」の歌の次に出て来る。「示しし」とあり「示せし」ではないから、啄木は自覚的に示したのかと思うと、そのあとの例、

気ぬけして廊下に立ちぬあららかに扉(ドア)を推(お)せしにすぐ開(あ)きしかば
何事も思ふことなくいそがしく暮らせし一日(ひとひ)も忘れじと思ふ
かなしきはかの白玉のごとくなる腕に残せしキスの痕(あと)かな

などは、「推せし」「暮らせし」「残せし」となっていて、先の「「示しし」」が例外のようにも見える。勿論、一人の作者のなかで揺れることもあり得る。それから言うまでもないが、

己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術(すべ)なし

 の「涙せし」は「涙す」というサ変の動詞に「し」がついたので「涙せし」でいい。しかしこの「しし」と「せし」が交錯して混乱するのである。

 こういう現象は、江戸時代の文章のなかではもう一般的だったようだ。例えば西鶴の『本朝二十不孝』の巻三の目録に「娘盛りの散り桜、吉野に恥をさらせし葛屋」などとあり「さらしし」とせず「さらせし」と書いている。だから鹿持雅澄のような学者も、その『万葉集古義』のなかで、万葉集巻二の「みやびをに我はありけり宿貸さず帰しし我ぞみやびをにはある」(一二七)の第四句(原文「令還吾曽」)を、カヘセシアレゾというふうに訓(よ)んでしまった。これは大きな誤りである。

 前にも書いたことがあるが、明治時代の新聞雑誌等でまだ文語文が支配的であった時文部省が官報で告示した「文法上許容スベキ事項」のなかに「暮ラシシ時」と言うべきところを「暮ラセシ時」と言っても妨げなしと出ている。しかし現在「話せし」「見残せし」と表現する作者は、それで妨げなしという自覚のもとにやったものかどうか疑わしい。
そんな小さいことは、どうでもいいという考え方もあろうが、私は拘る。

ゴウガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ  茂吉 『赤光』
やはらかに誰が喫(の)みさしし珈琲ぞ紫の吐息ゆるくのぼれる      白秋『桐の花』

 やはり「殺せし」「喫みさせし」ではなく「殺しし」「喫みさしし」と語法に適う言い方のほうが気持がいい。あえて崩れた言い方に従わなくてもいいではないか。

 もっとも次のような口語の例もある。

用事をすます          人に任す
   すませる            せる
待ちあわす           言って聞かす
    せる               せる

 普通二つの活用が使われ、下二段の動詞ともなるから、それを文語にして「すましし」か「すませし」か、「任しし」か「任せし」かという問題も出て来て、ややこしい。ちょうど紙数も尽きる。どちらにすべきか。この拙文を読まれる人への宿題としよう。

         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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