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北海道の歌人 茨戸川 阿知良光治(北海道アララギ編集発行人) ふくらみて真鴨相寄る茨戸川冬の近づく冷えまさる朝 雉が来て北狐来るこの川辺今年の雪は昨年より早し 日没の早き川面は暗みつつ遠近感の失せて冬くる 川の面に霧立ち込めて風寒し白鷺一羽岸に動かず 石狩の川へと注ぐ茨戸川降る雪集め豊かな流れ 北国に住む 山県 庸美 束ねたる黄色き小菊に虻つどひ北国の冬はすでに近づく 函館の西波止場の歌会にて次々署名賜りし歌集九冊 吉田正俊先生 北に住むわれなれば出でゆくも適はざり栗木京子氏に会へる何とハッピー 日の出五時日の入り六時半の空模様北国も春やうやく明るし 四方雪に埋もれる中に住む大寒越えれば春が来る来る
ベランダの風 内田 弘 路地裏のコスモス群れて枯れている北十条は夕暮れて行く ベランダの小松菜のプランターに潜みつつ蜘蛛は糸を巡らす ベランダの零れし米に来る雀が伸び行く陽に春を待ちいる ベランダの朝顔の棚を揺らしつつ意思もつ如く風は巻きたり シャツのみが吊るされているベランダに一陣の風が過ぎつつ温む かたち良く抜け殻残し変身する蝉の飛翔を思うたまゆら 樺太の鴉がベランダを見下ろして柵に止まりて吾を威嚇す ビルの間より正午のサイレン響き来て不意なる音の生々しけれ 同じ方向に布団を干しいるマンションの窓ひとつひとつに人生がある アサガオの百は今朝もみずみずしベランダに吹く風の薫(かお)りて 朝顔を愛でつつベランダに連想の如く死後の行先を思う 金星の位置を確かめてベランダに裸足のままに出れば 春
卯月作品集 鴎外のお妾さん 雁部 貞夫 鴎外に持たせし妾は旧四ツ木村の某女なり若き日わが父声ひそめ言ひき 鴎外に傷付けぬやうその祖母も母も「性」のピンチをきり抜けしかな 吾が友は木下川薬師の住持にて鴎外のことは何も知らずと 荒川の開削により村半分東の葛飾に移り来しとぞ 吾が友は鴎外研究の専門家四ツ木の妾の存在今知りたりと
東日本大震災から15年〜いまの思いを詠う〜 原発禍の地 吉田 信雄(福島県いわき市) わが住むは避難せし街ふるさとは遠きにありて原発禍の地 床に就き目蓋閉ぢれば田畑(でんぱた)や森が浮かびぬ逐はれし郷の 教へし子や元同僚に助けられこの避難地に生きむと決めぬ エッセイ(要旨) ほんの数日の積りだった避難が十五年になる。いわきでは若い頃高校教師をしていたので、当時の同僚や生徒さんに 大いに助けられ感謝にたえない。卒寿を迎えるが、この地に生を終えるつもりだ。 烏兎怱々 今野 金哉(福島県福島市) 核被災十と五年が経ちたるか烏兎怱々を思ひつつ老ゆ 十五年被曝補償のあらざれば東電憎みつつ死にゆく吾か DEBRIS(デブリ)除去に新工法を検討と言へども着手の時期を示さず エッセイ(要旨) 大震災から十五年、烏兎怱々(光陰矢の如し)である。除染のためにと頼まれて伐採した果樹の損害補償もなされず、 東電を憎み老いてゆく己が哀れだ。原子炉内にデブリがまだ880トンも残り、廃炉が遅々として進まない。
福島県の歌人 弔辞 穴澤 盛之 不自由な目の助けにと蕎麦台を自ら黒く染むるこだはり 見えぬ目と聞こえぬ耳にあらがはず流るるやうな蕎麦打ちたりき 蕎麦打ちの矜持なりしか目も耳も不自由なれど諦めぬのは 「新易(しんえ)さん」親しみこめて名前呼ぶ作務衣姿の遺影の前に 蕎麦打ちの作務衣姿がよく似合ふ遺影を前に弔辞読むとは 原発禍 吉田 信雄 ゆくりなく原発禍の郷思ひ出づ夜空の星を見上げてをれば ふるさとは汚染土の下団扇手に盆踊りせし日も遥けくなりぬ 原発禍に帰れずなりしふるさとのわれらが生家の写し絵掲ぐ 原発事故は未だ終はらず除染あり廃炉作業あり除染土処理あり 気がつけば家族も郷の人もみな離ればなれの原発難民
カンボジア復興支援 今野 金哉 カンボジア支援をライフワークとし十一度目の現地訪問 NPО法人「ハート・オブ・ゴールド」を設立よりの二十七年 代表の有森裕子を援けつつ何時しか経てる二十七年 「ために」より「ともに」の心胸にして復興支援続けて来たり トゥールスレン虐殺博物館訪ひてポル・ポト時代の悪夢回顧す 百万人はた二百万とも伝ふポル・ポト時代の無辜の犠牲者 無邪気なる少年たちの写し絵を処刑の証として展示す ドクロにてカンボジア地図模(かたど)りて見学者にも敢へて見せしむ 内戦の傷跡あまた見せしめて平和訴ふるプノンペンの街 苛烈かつ不条理粛清此処にあり四人に一人ほどの虐殺 拷問に用ひし種々の器具飾る水責めの壺はた爪抜きペンチ 拷問のシーンの写真はた道具髑髏(されかうべ)をもあまた見せしむ
第二十六回島木赤彦文学新人賞に渋沢たまき氏の『単独奏者』が選ばれました。おめでとうございます! 筑波颪にあらがひ今朝もかけてゆく韋駄天たまきは佐久の申し子 ホイアンの朝の喧噪駆け抜ける耳にピアスは光つているか 単独走を貫きゆかむわれは今この行く道に一人立つなり
私のまちの冬をうたう 生駒颪 小松 昶 生駒颪の雪の頻りに頬を打つ往馬(いこま)大社は千五百年在(いま)す 船待ちを妻に会はむと嶺越ゆる遣新羅使の碑苔に覆はる 手を伸ばし眩しき蝋の灯遮(さへぎ)れば厨子の観音ふいに顕ちくる (長弓寺) 八百年邪鬼を踏みゐる広目天吾を睨みて容赦のあらず み面(おもて)のおぼろに笑まふ石ぼとけ雪をかづきて亡き母のごとし 篁(たかむら)に眠る母御のかたはらに孝養尽くしし行基しづまる (竹林寺) 冷ゆる夜の生駒の嶺に点る灯の同期し瞬く颪しまきて (要旨) 生駒市は古都奈良と難波津の中間に位置する。万葉集には生駒山の詠まれている歌が六首 ある。難波津から瀬戸内海を経由して九州などを警備する関東からの防人(さきもり)、 更に新羅へと海を渡る遣新羅使の妻との別れを惜しむ歌など、犬養孝氏揮毫の歌碑が存在 する。更に、難波津への暗(くらがり)峠には芭蕉の「菊の香にくらがり越ゆる節句かな」 の句碑もある。長弓(ちょうきゅう)寺はこの地の名族、真弓長弓(たけゆみ)が聖武帝と 狩りをしていて、息子の放った矢に当たり亡くなり、それを哀しんだ聖武帝が行基に命じて 建立させた寺である。国宝の本堂は鎌倉時代の密教仏堂の代表作で、重要文化財の十一面観 音立像は蠟の光に浮び上がり息をのむほどに神秘的である。境内には小谷稔先生のみ墓があ る。竹林寺は行基墓から骨臓器、墓誌が出土、また四世紀の埴輪が出土した前方後円墳もある。
【205】の歌に添えた短文は要旨です。
短歌トラベラー!第59回、タヒチ 大原 清明 これぞ正にリアルブルーと目をこらすタヒチの海と空のひろがり 空と海の青さの透明感が目の覚めるほどに美しい。低空を飛ぶ鴎の 翼の内側が海の青を映してライトブルーに見えるのだ。 紅き花髪に飾りし娘らのカヌーに届くブレックファースト 波音に目ざめると、花模様の巻きスカートのタヒチ娘がカヌーで水 上コテージまで届けてくれるのだ。水中には熱帯魚が泳いでいる。 夕映えの海をつぎつぎ帰り来るカヌーは水面に影を連ねて 澄み切った空気感に日没後の茜色の残照が映える海面をアウトリガー カヌーが帰ってくる。そのシルエットは忘れ得ぬ幻想的な南洋風景だ。
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