作品紹介
 
選者の歌
(令和7年5月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  ヒマラヤの氷河越えゆき半世紀あなたづたづし足を引く今
登頂をテントに祝ひ友七人氷雪崩の爆風に逝く
 
    さいたま 倉林 美千子
  ミャンマーの古歌を歌ひに来てくるる夫は喜び手拍子をとる
父母ふぼを離れ日本に働きに来し少女三人みたりの少女真幸くあれな
 
    四日市 大井 力
  つきかげに波を寄せゐる九十九里思ひて弱るこころ励ます
生涯にたつた一度の今日ひと日冬の蒲公英の花に会ひたり
 
    柏 今野 英山
  電力を喰ひつぶす輩のAIが原発か石炭か判断せまる
限りなき進歩の果てに破滅しかないのかノアの方舟伝説
 
    横 浜 大窪 和子
  微かなる物音にも夫の気配かと耳聳つる慣ひいつまで
街川の細き流れにうつ伏していのち絶えたるあはれ青鷺
 
    札 幌 阿知良 光治
  お義母さんのブーゲンビレアが咲いたよと妻の写真に報告をする
病院へ行ってくるよと声かけて陽子線治療も十日目となる
 
    神 戸 谷 夏井
  満州に育ちし父の思ひ出ばなし重ねつつ読む『坂の上の雲』
謀略戦闘つづく小説の中にありて子規のシーンに吾癒さるる
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  朝獲れの能登西海岸甘海老を買ひて帰らむ佳き酒が待つ
ガザの子らの笑顔に重ね想ひ見ぬカナンを目指す古の民を
 
    生 駒 小松 昶
  アメリカがガザを治むとトランプ氏民族を国家を何と心得るか
AIにお国柄ありディープシークは「尖閣は中国のもの」とのたまふ
 
    東 京 清野 八枝
  ヤマナシの梢に高く宿り木のまろきさみどり五つかがやく 小石川植物園
トランプの持ち出す「ディール」ウクライナ抜きに米ロの停戦協議
 
    広 島 水野 康幸
  家事がしんどいと言ふ妻のため挑戦す失敗しつつ夕食の準備
広島を原爆投下地にせしは何故なりや観光客に吾問ひてみる
 
    島 田 八木 康子
  中学生われの俳句に文通の希望者二十三人すべて応へき
日に干しし羽毛布団に包まれて朝まで目覚めず幾月ぶりか
 
 
先人の歌
 

 今月は、戦後すぐの昭和21年に35歳で「東北アララギ会」を結成し、「群山(むらやま)」を創刊し、歌人として国文学者として多くの人々を導いた扇畑忠雄氏(1911〜2005)の短歌を紹介します。扇畑氏は広島の出身で18歳の頃中村憲吉の指導を受けて「アララギ」に入会し、憲吉没後は土屋文明の指導を受けました。昭和17年に第二高等学校教授として仙台に赴任しました。戦後は東北大学の教授となり、研究者として、また「群山」の代表として多くの業績をあげました。昭和23年からは宮城刑務所での月一回の短歌指導を始めて、晩年まで続けています。
 私の師である三宅奈緒子は「群山」で扇畑氏の指導を受け、仙台を離れた後も、晩年まで指導を受け続けました。
 今回は氏の第一歌集『北西風』(34歳〜37歳)の巻頭歌を紹介します。
 「川戸にて」と題した一連について次のような「あとがき」があります。

 、、、土屋先生の疎開先群馬県原町川戸には、敗戦の直前と直後お訪ねして多大の感銘を受けた。この歌集が終戦直後の「川戸にて」一連を以てはじめられているのは、敗戦の創痍の中からまず作歌することによって立ち直ろうとした私の悲しい思いを記念するものである。その時先生は、歌の話は殆どされなかった。山下の泉を掬い、露のふかい裏山に山草をつみながら、共に歩いたそれだけで、私には何か内に生き生きとよみがえるものを覚えた。  、、、

  「川戸にて」(昭和21年)

 山の辺の露のしげきにみながら君にひゆくいのち残りて
 こぼれたる大根の種子たねを拾ひたまふ従ふ吾の手にあまるまで
 道のくまえごの木の花ちりしきて白きはすがし露のしげきに
 山水を真清水と引きあふるるに今みて来し野菜を浸す
 赤城より榛名にかけて立つ雲のこころにぞ沁む今日のわがゆき
 湯の宿に水引草の咲ける見て今日去らむとす仕事収めて
 たまひたる人を偲べと軟かき伊香保の胡瓜煮つつわが食ふ


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