作品紹介
 
選者の歌
(令和8年8月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  生きてゐることは嬉しも旨きもの食らひ青島ビールを飲めば
自分にも他人びとにもきびしきわが妻が笑顔見せたりメニューを見つつ
 
    さいたま 倉林 美千子
  硯箱の蓋とるやたちまち在りし日に夫が籠りし書斎の匂ひす
久々に毛筆持てば手が震ふ筆おきて撫づ九十一歳くじふいちの手
 
    柏 今野 英山
  狂気もつ一人がこの世をぶち壊す歴史の繰り返し今まさに見る
アレキサンダージンギスハーンヒットラープーチントランプチガイワカラン
 
    横 浜 大窪 和子
  わが庭の半ばを占めて咲き盛るヒメジオンいまや雑草ならず 
この石段に呼び掛けし人の甦る今は遥けき思ひ出ひとつ
 
    札 幌 阿知良 光治
  若き頃休みとなれば山へ行き山菜取りし友も今亡し
庭の蕗束ねて茹でる妻を真似明日は蕗の煮付供へむ
 
    神 戸 谷 夏井
  施肥の量その時期ともに首尾の良しこの年の薔薇溢れむばかり
わが薔薇はいづれもいとし就中ブラッシュノアゼットの透ける房咲き
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  アブラチャン咲くかと寄りぬ黄に照れる小花掲ぐる山茱萸の木に
猿たばこと呼びて加賀びと親しみ来し雪形は浮かぶ五月の空に
 
    生 駒 小松 昶
  小惑星リュウグウよりの砂粒にDNAの素材の揃ふ
遺伝子の構成要素は宇宙由来かすなはち吾は宇宙人なり
 
    東 京 清野 八枝
  下りゆけば湖岸にあまた落羽松そのさみどりの葉にふれてゆく 昭和記念公園
ふるさとにジャズ祭開かむと誘ひ来し軽音の先輩よ遠きあのころ
 
    広 島 水野 康幸
  口を開けば憎々しげに出任せばかりトランプ大統領はしゃべらぬが良し
「本当の父母ちちははの下に育てられしお前は幸福」と父は言ひにき
 
    島 田 八木 康子
  四月号に知り得し「人城ひつぎ」この歳になりて初めて出会ひし熟語
下校即ポケットに庭の柿を詰め読み飽かざりき槙の樹上に
 
 
先人の歌
 

 三宅奈緒子先生の歌   歌集 <白き坂>より

 嬰児なりしわが表情を記したり知らざる母の遠き日の手記
 砂山に吾と遊びしとふ母よその表情も声も知らずも
 耐へつつ生きむと稚き手紙寄せて来ぬ弟もおのが寂しさを持つ
 忘れゆきし父のパイプを今日一日かたへに置きて家ごもりゐつ
 父の家に椎落葉掃くやすらぎのつひのやすらぎならぬ寂しさ
 この善意の母にも己れ曝さざりきながく一人の悲しみりき
 すでにして涙ぐむことなくなりし夜半夜半さやぐ桐の葉を聞く


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