今月は、戦後すぐの昭和21年に35歳で「東北アララギ会」を結成し、「群山(むらやま)」を創刊し、歌人として国文学者として多くの人々を導いた扇畑忠雄氏(1911〜2005)の短歌を紹介します。扇畑氏は広島の出身で18歳の頃中村憲吉の指導を受けて「アララギ」に入会し、憲吉没後は土屋文明の指導を受けました。昭和17年に第二高等学校教授として仙台に赴任しました。戦後は東北大学の教授となり、研究者として、また「群山」の代表として多くの業績をあげました。昭和23年からは宮城刑務所での月一回の短歌指導を始めて、晩年まで続けています。
私の師である三宅奈緒子は「群山」で扇畑氏の指導を受け、仙台を離れた後も、晩年まで指導を受け続けました。
今回は氏の第一歌集『北西風』(34歳〜37歳)の巻頭歌を紹介します。
「川戸にて」と題した一連について次のような「あとがき」があります。
、、、土屋先生の疎開先群馬県原町川戸には、敗戦の直前と直後お訪ねして多大の感銘を受けた。この歌集が終戦直後の「川戸にて」一連を以てはじめられているのは、敗戦の創痍の中からまず作歌することによって立ち直ろうとした私の悲しい思いを記念するものである。その時先生は、歌の話は殆どされなかった。山下の泉を掬い、露のふかい裏山に山草をつみながら、共に歩いたそれだけで、私には何か内に生き生きとよみがえるものを覚えた。
、、、
「川戸にて」(昭和21年)
山の辺の露のしげきに採みながら君に副ひゆくいのち残りて
こぼれたる大根の種子を拾ひたまふ従ふ吾の手にあまるまで
道の隅えごの木の花ちりしきて白きは清し露のしげきに
山水を真清水と引きあふるるに今採みて来し野菜を浸す
赤城より榛名にかけて立つ雲のこころにぞ沁む今日のわが行
湯の宿に水引草の咲ける見て今日去らむとす仕事収めて
たまひたる人を偲べと軟かき伊香保の胡瓜煮つつわが食ふ
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