作品投稿

作品募集要項

短歌をお寄せ下さい。作品には運営委員による指導があります。以下の手順でお願いします。

(1)「初稿」の提出。1人1か月に5首まで。自作未発表作品であること
(2)「改稿」の提出。「掲示板」での添削等を取り入れた改作。この提出は月3回程度。
(3)毎月20日までに「最終稿」と明記して、1人3首まで(厳守)を、指導を受けた作品の中から自選して、あらためて提出
(4)ハンドルネームを使用してもよいが、混乱が生じやすいので頻繁に変えないこと。
(5)「新アララギ」本誌の会員は、ここに投稿した作品を本誌に二重投稿することのないように注意する。
(6) 投稿された作品は選抜の上、「新アララギ」誌上又はインターネット上のホームページに掲載される。掲載後は原則、削除や消去は不可である。


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今月の秀歌と選評



 (2025年12月) < *印 旧仮名遣い >

水野 康幸(新アララギ HP運営委員)


 
秀作
 


ふで

地下鉄のトンネルを過ぎ目の前に見知らぬ町の景色広がる
灰色の初冬の街に夕陽受けオレンジにひかるビルひとつあり
黒髪のぞく金髪娘がプリンなら染髪我は初冠雪か


評)
前:初稿のままで完成とした。暗いトンネルと見知らぬ町が開ける対比が鮮やかである。中:「オレンジにひかるビル」に焦点を当てることにより、歌のまとまりがよくなった。後:思い切った例えが面白い歌。
 


夢子

神様も意地が悪いね人間は他の生き物食べねば生きず
神さまは空のどこらにいるのやら人の心にそっと灯る火か
死の手前意識はどこへ行くのだろ科学の筆はそこで止まりぬ


評)
前:なるほどと思わせる事に焦点を当てた。人間は怖い、どんな生きものも食ってしまう。中:「空のどこら」という言葉はないので、「空のいづこ」にいるのやら、としたらよかった。後:死は誰もが経験し、誰もが知ることができない、それだけミステリーなものである。
 


鈴木 英一

参拝者の写経勧進によみがえりし七堂伽藍に心打たれり
かつて見し西塔跡の仏足石を大講堂の裏に見つけぬ


評)
前:勧進とは、堂塔などの建立のため人々に勧めて寄付を募ること、と辞書にある。写経をして寄付を集め、七堂伽藍がよみがえったのだ。後:仏足石を大講堂の裏に見つけた。正に発見だったことだろう。
 


原田 好美

富士の秋種々の方より写したる富士山ありてどれも聳える
紅葉観て夫と二人で麦とろとわらびもち食み笑顔こぼれる


評)
前:富士の歌は色々あるだろうが、これは様々の角度から写した写真を見ての感想である。後:紅葉を見てわらび餅を食べ、夫婦で微笑み合う情景を歌にした。やや詠みこむ事柄が多すぎたかもしれない。
 


紅葉

コーラスの声が聞こえる教会の坂を下って歩みゆく朝
2か月に一度だけ来る2か月に1日だけの仕事の日なり


評)
前:歌声の聞こえる教会の坂を下ってゆく様が詠われている。最後の「朝」は省略した方が良いかも。後:2か月に一度だけの仕事とは、どんな仕事だろうか。特にそれを言わず、読者に考えさせる点が面白いのかも知れない。
 

佳作



西村よしひろ

弱き陽の木守きもりの柿を染める夕さみしき色の秋は深めり


評)
評:なかなか良い歌だが「弱き陽」と「夕」が重なっており、夕の位置を考えた方が良かったのではないか。例えば(夕暮の弱き陽が柿の木を染めてさみしき色の秋は深まる)のように。次回は頑張って5首に挑戦して下さい。
 
 
寸言

 短歌は下の句に焦点があるので、感動の中心となるものを歌の終わりに持ってくるのが良い。そのためには、上の句と下の句とを入れかえて、どちらが良いか推敲するのがよい。また、全般的に色々詠みこんで、結局何が言いたいのかが不分明になることがある。単純化ということも、歌の大原則のひとつである。これらは基本的なことだが、再度指摘しておきたい。
 12月は年末の忙しい時にあたるため、投稿がやや少ないように感じた。新年は更に気持ちを新たにして、歌に取り組んでいただきたい。

        水野 康幸 (新アララギ HP運営委員)
 
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